Facebookでも、
今朝がたシェアしたこちらの
細川モモさんの記事。↓


 





補足情報の記事もありました↓。








こういう情報、
ほんとうにだいじー。










以下は、わたしの雑感。









ある情報や主張を盲信するのではなく、
一概に批判するのでもなく
(それも何かを盲信することに等しい)、





多角的な情報、というか 
いろんな人の立場に立って考えられた主張、

とりわけ
一人ひとりの暮らしによりそった主張は、
すごくだいじだと思います。







未来永劫、
絶対的に正しいものごと。




なんて、あり得ないから。








誰によりそった情報なのか?
を明示すること/読み解くことは重要。







細かすぎると伝わらない。
  


かといって、

誰にでもわかるようにと
ざっくりすぎると、
本質からずれてしまったり。







リスクコミュニケーションって、
とても難しい。と思う今日このごろ。







わたしたち一人ひとり、
賢くならないといけないな。






その賢いとは、
“お勉強”という意味じゃなく、






あたりまえに見せかけられたことを、
すなおに疑えること。






抱いた疑問を、
声に出せること。






じぶんの感性や感覚を信じられるよう、
きちんと整えておくこと。






そして、



さまざまな情報があるなかで
主体的に考え、行動を選択できること。





そんなことができる力を
すこしずつ、つけていくことだと思う。









お友だちもマスクとのつきあい方について
薬局の方の投稿↓をシェアをしていたけれど、
ほんとうにそのとおりだと思いました。









わたしは
屋外では誰かと接触しないかぎり、
ギリギリまでマスクしないことにしてます。



大抵、
いつも持ってはいるんだけども。



ただでさえ暑がりだし、
おんぶなんかしてたら倒れます。汗






友人は、
エアコンの効いた職場ですら
マスク着けて動き回ってたら
実際に倒れたそうです。汗






子どもの登下校中も、
マスクはポケットに入れさせてました。
(今は夏休み)

鼻を出せばいいという意見もあるけれど、
わが長男はそんな微調整はできません。笑






でも
屋内のお店に入るときと、
マスク着用が必須な習い事のときには、
親子ともにきちんとマスクしています。




ほんとにその瞬間だけね。




ショッピングモールから
一歩外に出ればすぐ外すし、
子どもにも外させますが。

屋内でも、
暑そうにしているときはずらしたり。







でもでも。

喉が痛いときや咳が出るときは、
自宅でもマスク着けています。








わたしのこの行動たちも、
正解、とかじゃない。








誰かがこうだから。




みんながそうだから。




は、いい加減やめることにした。









誰かがそうだから?



わたしとおなじ人は
この世に一人としていないのだし、




みんながそうだから。
は、大抵みんなじゃないですから。







昔、出会ったある女性が、


「親の言うとおりに
行きたくもない高校に行って、
やっぱり嫌になってやめたとしたら、
絶対親のせいにしてしまう。」


「だからわたしは、高校に行かない。」



と言ったんですね。






ほかの大人たちは、

「そんなこと言ってもさあ~~」

と一般論を返していたのだけれど、




わたしには、
彼女の主張はもっともで、
とてもクリアに響いた。








―誰かが、
みんなが、そうだから。





それだけで選んでいたら、





何かあった時には



誰かのせい。

みんなのせい。

何かのせい。



になってしまう。








そんな生き方は、
誰もしあわせにしない。

(と、わたしは思う。)






べつに、
いつも少数派の行動を選択すべし、
と言っている訳じゃない。















誰かは、こう。



またべつの誰かは、こう。





で、
わたしはどうするの?











じぶんのあたまやこころで考えて、
じぶんの手でひとつひとつ選んで、
じぶんの足でしっかりと、歩いていこう。