けさ、ついさっき



洗濯洗剤を
ボトルに詰め替えていて
ふと、思ったこと。








わたしは
めちゃくちゃズボラなのと
すんごい大ざっぱなので、
洗剤の詰め替えはキホンしないのね。






だって、
床下収納からよっこらしょと出すのが
そもそもめんどくさいし、笑


わたしが詰め替えると
大なり小なり必ずこぼすわけで、
それ自体が勿体ないしエコじゃない。笑
(必ずこぼすんかい)





なので

ギリギリ一滴も出なくなるまで粘って、
夫や母が詰め替えてくれるよう仕向けている。笑


というか、
わたしはできるかぎり
詰め替えを回避すべく
がんばってるのだけど、笑






そんなわたしが
けさ、
もう一滴も洗剤が出ない場面に遭遇。






夫は出勤した後で、
母は次男くんを抱っこ中。
父はなぜか急に掃除機をかけてくれていて。





こりゃ、
わたしがいくしかないと。笑






詰め替えることにしたのだけど、

なんせズボラなんで 
なんにも考えず
脱水中の洗濯機の上にボトルを置いて
(=めちゃくちゃ揺れている!笑)



詰め替え行為を始めたわけ。






 

トクトク、と
おなじスピードで
おなじ場所から注いでいても





受け手側(=ボトル)が
めちゃくちゃ揺れてると、
まあ こぼれるわけで。笑笑






そうか、と。







おなじように降り注いでいるのなら、
できるだけボトルを安定させること、だ。







注)あたりまえのこと言ってます。笑
脱水中の洗濯機の上にボトルを置いての
詰め替えはまったくお勧めしません。
良い主婦主夫は真似しないでください。笑











新型コロナさんのことでも、
それ以外のことでも、


わたしたちの世界には
いつなにが起こるか誰にもわからない。





それを“運命”と呼ぶのなら、
うまれる場所や時期や環境はさまざまでも、



みんなに
降り注いでる運命は平等だ。




だとしたら、
わたしにできることは


ボトルとしての“わたし”を
運命の受け手側である“わたし”を

できるだけ揺れないでいられるよう、
ととのえること。



それしかないんじゃないか。



たとえ大きく揺れたって、
また戻ってこれるような軸をつくること。










ととのえ方は
人によってさまざまで、




情報を取って
いろいろシミュレーションを尽くす人



この際だ、と手に入らない物を眺めて
ほんとうに必要なんだっけ??と疑ってみて
そもそも持たない生活にシフトする人



じぶんの生活を丁寧にかさねていく人



揺れる洗濯機の上にボトルを乗せて眺める人
(↑ズボラ病)





きっと正解なんてないのだ。







一生わからない正解を追いかけるよりも、



きょう いま ここから 
わたしのまんまで もういちど、



たいせつな人を
愛することをはじめよう。



この世界の
素晴らしさをみつけよう。







“明日はわが身。”



と思うなら、同時に




“明日のその時”までは、



わたしは
わたしのまんまで笑っていたい。








だって世界は
こんなにも、美しいのだから。