きのうは、
長男次男と海辺をさんぽ。











アンモナイトみたいな貝殻をみつけて、
アンモナイトを贈ってくれたお友だちに
想いを馳せた♡





日常のカケラに
大切な人の存在を思い出せるって
なんてしあわせなんだろ。




しあわせの渦巻きさん♡














貝殻を拾ったり、
追いかけっこしたり











海草を拾ったり。笑











寄せては返す波間に
消えていく泡たち。














じっと眺めていると、





わたしの子育てでの
とらわれのひとつずつが、
泡と同時に消えていく気がした。







その存在だけで
この上なく愛しいいのちを



丸ごと受け容れて
愛したい。と思いながら、



心の奥でそう叫びながら、





それでも
日々かわるがわる現れる
わたしのとらわれや常識や価値観。



それらが “子育て”と称して、
子どもたちのじゃまをする。









そんなわたしは
“わたし”として子育てをすることしかできず、



それでも
わざわざわたしを選んで
生まれてきてくれた子どもたちに





とらわれや常識や価値観と向き合い、 
それらを手放しながら


目の前の子どもたちと
一人の人間として向き合いながら


お互いの価値観を
持ちよって 
すりあわせて


ぶつかったり
離れたり
ちょうどよい距離をさがしたり 
つくったり




母親である“わたし”もまた
そうしながら生きている


たったひとりの人間であることを、



どこまでいっても
わたしでしかない生きざまを、



近くで 遠くで 見せていられたら、
それでいいのかなと思うのです。









わたしが わたしであることを
ただ そうである。と受け容れて

そこに罪悪感も何もなくって
丸ごと愛せているとき、



目の前の風景も
目の前の日常も



愛であふれているのだと
はっきりとわかる。




いつも居てくれて
そこに居てくれて
愛させてくれる存在に、
どこまでもありがとう♡







愛の、しあわせの、
渦のなかで 
心からそう思えるいまに感謝♡