きのう、Facebookで
お友だちの投稿がふと目に留まり、




ああ。
こないだわたしも、
大事なことに気づいたのだった。



と、思い出した。





それは、
母に対して感じていたこと。




一緒に居ると



めっちゃたのしい!



めっちゃムカつく!!



ありがたーい。



うわ。めんどー!



かわいらしいなあ~。




などなど、
実にさまざまな感情が湧く。



以前は、
とっちらかって ばらばらな
そのすべてを まとめなくちゃ
気もちわるいような気がして


「感謝しなきゃいけないのに、
ムカつくとも感じるなんて…」


と、心地わるさと罪悪感がすごかった。






次男くん妊娠中の
あるとき、


あ。ばらばらな、
そのまんまでいいんだ。

ひとつずつ、
ばらばらなままあって、いい。



なーんだ。
まとめなくていいんだ。



まとまりようのないはずの
ばらばらな気もちたちを
まとめようとしてたから、
あんなにも苦しかったのか。



って、
目からウロコ。





母には心底感謝していて、
時々本気でムカついて、
冗談に真剣に笑って楽しくて、
愚痴を聴くのがめんどくさくて。


どれもわたしにとって、
真実なのだ。




それらをひっくるめて

「ありがたいお母さん」

とか、
まとめなくてよかったのだ。


まとまるわけが、なかったのだ。




そう思えたら
とたんにものすごく楽になって、


母に対する思いが
そうなったもんだから、

夫や子どもや友だちや、親戚
ほかの周りのひととの関係も
だんだんとそう思えていって、


ばらばらな気もち、
あれこれ、いろいろ。

ミックスジュースじゃなくて、
ハロハロみたいにそのまんま。
いろいろ、雑多にある。


それが
わたしのあたりまえになった。




そしたら、

母が父に対しての不満を日々話していても、
けっきょく父と記念日には食事に出かけ、
花束を贈られて笑顔で写真を撮っている。

そんな、矛盾する、
けれども
どこまでもリアルな、
日常の暮らしを心底ゆるせるようになった。



ゆるすも
ゆるさないも、
本来ないものなんだけど。



そのまんまでいい。
そのまんまのあなたでいい。

と、
じぶんにも
だれかにも言いつづけながら、


わたしはどこか心地よくありたくて、
やっぱりきれいに
まとめようとしてたのかもしれない。


でも、
そうじゃなくて
雑多なままでも、
日々は生きていられるし
もっとずっとたのしめるのだった。



次男くんのいる日常のなかで
この気づきはあたりまえになって、
忘れかけていたのだけど

わたしにとって
大きな意味をもつ、
とてつもなく大きな、気づき。


なので、
あらためて言葉にして
取っておきたくて、
書いてみました。