きのうの晩ごはんのこと。






母が作ってくれた夕食を
一生懸命食べる息子。



動きが多くて落ち着かない息子なりに
がんばって残さず食べようとしているのに、

その一挙手一投足が気になる、
暇なわたし
(↑まだ家族と一緒のメニューを食べられず、
ソファーから見守ってるため、暇)


「お皿を使って食べてー」
「コップの持ち方、危ないよ!」


ついつい口うるさく注意してしまい、
息子もわたしも、
だんだんとお互いフキゲンに。。





いつもなら、

あ。言いすぎる。
こんなに言う必要ないわ。

と思ったら
子どもに気を向けないようにして
距離を取ることができるのだけど、
きのうのわたしは なぜかそれができず。


頭が痛いし 眠いのに、
じぶんから敏感にアンテナを張っては
息子を注意してしまっていて。
 
 


―何にこだわってる?
―どこで無理した?

と、じぶんに問いかけてみると



朝早くと夕方に二度も起こされて、
眠いんだよ。

ほんとうはしんどくて休みたかったのに、
「かあちゃんがいい」
って息子が言ったから、起きて対応した。

「かあちゃんがいい」
が、嬉しかったから、じゃない。

そのまま放っておいたり
母や父が対応しようとしたりしたら、
息子がぐずるのが嫌だったんだ。

別にぐずっても、いいのにね。








またまた、コントローラーなわたし。



息子のぐずりなんて、
息子の自由なのにね。

たとえぐずっても、
息子にとっては必要なこと。
息子自身のチョイスを信頼すればいい。
 


それより、じぶん。
じぶんがどこかで無理してたら
やっぱり別のどこかで無理が出ちゃう。




でも、
そんなじぶんを責めなくなった。

今度から気をつけなきゃ。

と思うだけ。




じぶんを責めないから、
不必要な罪悪感を持たずにすむ。



罪悪感を持たなくなったら、
ほんとうに必要、と思う時に
すなおに謝ることのできるじぶんになった。



罪悪感や自己否定があった時期は、
全然すなおに謝れなかった。


謝ったら、
弱い  できない  格好わるい
じぶんを認めることになるから、負け。
な気がしてた。


なにと戦ってたんだろう?笑
 

“わたしであること” に、
勝ちも負けもないのにね。




きのうは
お互い落ち着いたころ、

「さっきはごめんな。
かあちゃん言いすぎたわー。
がんばって食べてたのになあ。
今度から気をつけるね!」

と謝ったら、


「うん、わかったよ。いいよー♪」


と、息子はご機嫌さんだった。






だいすきでたいせつな、親愛なるじぶんへ。
だいすきでたいせつな、親愛なる子どもへ。

せっかく贈るなら
罪悪感じゃなく、信頼を♡