唐突ですが、
鳥本愛さんのリブログから。

私はですね、


お金持ちで、綺麗で、家族がいる人=幸せ


って決めつけて人を見ていた時が長くあって、


その型通りの人には、


無条件に尊敬してしまったり


上に見上げてしまったり


完璧な人だと決めつけていました。




そうすると、なにが起こるかというと、、




その人の悩んでる姿を見ると傷つき、


その人の弱いところを見ると傷つき、


その人の完璧じゃないところを知れば知るほど
絶望して



勝手に悲しくなって


離れる。。という事を繰り返していました。




外側の「型」で人をみる。


これは、自分自身も苦しくなるし

人との付き合いにおいて、



本当に大切にしたいものを

絶対に取りこぼします。


 ↑ ここまで引用 ↑



以下、愛さんblogを拝読して、
タイムリーに感じたことを。


わたしの場合、
お金持ちさんとかその方の属性とかには
発動しないのですが、

【人の気もち】

に対して、
引用した愛さんと同じような
“外側の「型」で見ての、傷つきスイッチ”
が発動します。



特に、
ほんとうに身近な、
大切な人たちの「見かけの」気もちに対して


「悲しませてしまった (私のせいで&可哀想)
「怒らせてしまった (私のせいで&可哀想)
「不機嫌にさせてしまった (私のせいで&可哀想)


と、
勝手にわたしが傷ついて悲しくなる、
アンハッピーセット。笑

これ、いまだに一瞬、あるよなー。

と気づいて。




特に、夫と母に対して発動する。


今日もついさっき、
母との間でざわついたばかり。笑




でもね。

いちはやく気づけるようになった!
「これ、心配してるふりした支配だわ」
ってね。


で、かつての思考のクセだった
「わたしが母を怒らせた」
「わたしのせいで母が悲しんだ」
「わたしがもっとこうしてあげてたら」
というセルフトークを



「母が怒っても、悲しんでも、母の自由」
「母は怒っても、悲しんでも、大丈夫」
「わたしはこれでいい」

「もしかしたら母だって、
考えるきっかけになってしあわせでは♡?
実際どうなのかは知らんけど。笑」
というセルフトークに書き換えてく。


それが、
ひとりで出来るようになった!


ほんとうに成長というのか、
じぶんの健康度が上がってるのを実感♡笑






最初のセルフトークだって、
“支配”とは言いつつも、
出発点はやっぱり“愛してるから”
なんだけどさ。


でも最初のセルフトークだと、
いちばんだいじなはずの、
“わたし”のことを愛せてない。


その状態だと行き詰まって、
いつのまにやら
愛じゃなくなっちゃうもんね。



ひとりの昼下がり。
リブログさせて頂いて、
なんだかさらにすっきりー。

愛さん、ありがとうございました♡