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片側三車線の見通しの良い道路
制限速度は一般道なので60kmだけど,普通みんな80kmでは走っている。
一般道なので信号のタイミングで先頭になれば簡単に100kmはだせる道
当然,ここには常時3台の覆面パトカーが走っているし,白バイが待機して張って居る場所も幾つかある。ここを通勤に使っているわたしとしては,覆面パトカーにいたってはナンバーも頭に入っている状態だし,どのタイミングで網を張っているのかもわかる。
一昨日,昨日と連続して目の前で捕獲されたのをみた。
とくに一昨日は,私の後ろでどけよ,なに80kmで走ってんだよ(怒)というセダンの車に道をお譲りして,すぐにお捕まりになった。
私は,一番右の追い越し車線で覆面パトカーに併走していたのだ。いちばん左車線の車もわかっているようで,覆面パトカーのすこし後ろを併走していた。実際後ろから100キロ超で追い上げてきた車にしてみれば3台が横に並んで併走しているのでイラッときたのだろう。
パッシングまではされなかったが,覆面さんも,ああこれは何も見えていない獲物ですね。と十分にわかったでしょう。
私が覆面パトカーの前方によけた瞬間走り抜けるセダンと,それを音も立てずに(誇張)後ろにつける覆面君
ものの数十メートルで簡単に捕まりました。
本来は何メートルか追尾しないといけない条件なのだと思いますが,そもそも20kmオーバーで走行している状態で私を追い抜いたわけで,25オーバーで計測を停めました。と温情で免許停止処分は免れますよ。という形で打診されるのでおとなしくサインするしか無い状態に持ち込まれる。
これが夜なら,いろいろ車が滞っているとわからないのですが,昼間だと注意すれば覆面パトカーほど変な走行をする車はいないので,
もしあなたが,こいつらりってんのかな?といった走り方をするスモークの濃いセダンをみたら,まず一旦併走して窓を横から覗いてみてください。
がたいの凄く良いおじさんが場合によっては制服をきて運転していれば,確実に覆面パトカーです。
捕まった車は,じーらがどいたから捕まりました。
どかなかったほうが良かったのかな・・・・・。
少し前に,広島へオバマさんが訪問した。
子供の頃に先生が,謝罪はいらない。
アメリカの大統領は一度で良いから,ここにくるべきだ。
そう言っていたのを思い出す。
その先生の願望は少し前に叶った。
おそらくその当時の戦争について教育を受けた学校の先生であれば,同じようなことを仰る方は大変たくさん居られたと思う。
だから,アンケートでも,オバマさんに謝罪を求める声は少なかった。
日本の戦後教育は間違っていないと胸を張りたい。
その後真珠湾に日本の首相が訪問した。
品格を見せつけられ,それに負けないものを返す。
いろいろな思いや考えがあるだろうけれども,
私は,その品格のやりとりにかなり崇高なものを感じて感動した。
イスラム国家の根深い怨念を持つ方に言いたい。
日本でもできたこと。あなた達にできないわけが無い。
実際東南アジアに行くと日本の戦争は,世界の始まりのような扱いをうけているのがわかる。「ヒロシマ」以降私たちの国は始まった。
その表現は日本人には多少辛辣に思えるのだが,この言葉に日本人を真っ向から否定する意味合いはない。日本人が支配し整備しようとしたことで,自分の国は始まったのだと感じているらしい。その教育は今の日本人に対しての対等なリスペクトを産んで,普通に付き合える。
隣の半島の人とは,いまだにわかり合えない。
テレビ番組でも,マスコミでも
「日本人は国家として最低,個人個人私も友達がいるけど,日本人ひとりひとりは良い人だと思う」こうゆうのが我々から下の世代の日本人への感覚だ。
日本という国が嫌い。
あやまらない。認め無い。歴史を間違って覚えようとする。
誠意をみせろと,騒ぎ脅しお金をださせては,あとで,あれは返すべきだった。
まだ納得していない。そうだ,抗議をしよう。銅像を建てよう。
これはあきらかに教育のせい。
日本という敵がいます。敵に勝つために勉強しましょう。敵に勝つために力を合わせましょう。その基本路線が未だに続いているのでは無いだろうか?
WBCやワールドカップ予選。
ワールドカップ予選の方は直接あたらないが,WBCなどは韓国は明らかに日本に対する態度がおかしい。
そりゃすこしはライバル人がじーらにもあるけど,それの殆どは向こうが必死に日本を蔑もうとするからであり,私が韓国を他の国と特別に分け隔ててみることはない。
言い換えると日本は韓国からストーキングを受け続けている。
あえて言いたい半径10キロ接近禁止と。
息子が聞く
お父さんは,中学生の頃 何になりたかったの。
受験を間近に控え,息子のなかに 将来という言葉が芽生えたのを垣間見た。
ラーメンをすすりながら,じーらは中学生時代をふと思い考える。
幼稚園に入る前後に,じーらの将来の夢は「研究者になりたい」と決めていた。
大きく間をはしょると,今じーらは「夢」になっている。
では中学生時代は?
この省かれた間の時期には,つまらない思いがいろいろあった。
反抗期,友人の言葉,体裁,流行。
正直に言えば,息子には言えなかったがじーらは,中学の時は将来のことなど真面目に考えてはいなかった。むしろ,志望校のことしか見えなかっただろう。
幸い,一番最初に考えた研究者という幼稚な夢は親にも余計な思考をさせずにすませてしまったし,周りの誰一人少しでも良い大学に進むことに否定をする人間がいなかった。偏差値が1あがるたびに,あなたの夢に近づいている。そう言えるのだから大人は楽なものだ。
これは研究者に限ったことでは無い。
なぜ勉強するの?と真剣に疑問を持つ子供に,一番 体裁の良い言葉は
「選択肢を広く持つためには,今は勉強しなさい。そして少しでも環境のいい大学など上に進むことを考えればいい。
そのうち,あなたが本当にしたいことが見えてくるから。」
これは我々第二次ベビーブーム世代のお子様までは,模範解答の正解である。
スポーツでさえも勉強には叶わないことが殆どで(野球とか水泳などのジュニア教育が確立されたもの以外),もししたいなら大学の体育会でがんばればいいから。なんて言葉に騙される。
野球のようなシステムをもっているものは。例えば高校野球ープロ野球があったので,小学校に野球を始めなければ間に合わない。という方程式があったが,サラリーをもらう人間にとって,いや我々の時期にはすでにインテリのやくざさんにとっても,あの時代は大学に行ってから考えろと言わんばかりの教育を受けさせられた。
むろん,中学,高校で卒業し社会に出る人がいるし,その人達を外して話をしたいわけではない。
夢を見る前に,まず大学に行きなさい。もし夢の前にお金を稼ぐ手段が見つかるのであれば,それをしてもいい。
それが我々が,少年少女ながらに思っていた社会の入り口,将来というものだったよに思う。
下世話な夢
そんな事をすこし思った。
だれかに期待されている訳ではないですが,つづく
2017年になりましたね。
自分がかなりの年齢になって来たことをひしひしと感じ始めました。
やや遅めの気づきなのですが。
20-25歳の人と話すと自分は,同年代なんて思いませんが,それでも子供と大人という関係ではありません。
飲み屋さんなんかで話す女性とは,許容範囲でしょ?なんて会話を展開させますが。
先日連絡先を交換して下さいと言われた女性が,ちょくちょくLINEで,じーらさん,この服に合いますか? どっちが今度の会には良いと思いますか?
と写真を送ってくれて相談してくれます。
特に彼女をどうこうしようとは思いませんが,センスを買われて相談してくれるのですから悪い気はしません。普通に,こっちのワンピはかわいさ半減。こっちのニットは男が寄ってくるけど大丈夫?などと時間があるときに答えていました。
で,あるとき息子の話になり。
ふと,息子が2000年に産まれたことを思い出しました。
はて,17歳の年か。。。。
俺の嫁さん3つ上。
え?この彼女と息子の年齢差,俺と嫁さんの年齢差とかわらんやん・・・・
いや
どうでもいいことなんですが,お父さんの年齢になったことに,すこし傷ついたわけです。
そういえば,今回卒業したぱるるのお父さんと俺同い年だったっけ・・・・涙
ご無沙汰です。
先日書いたつもりになって,あまりにもひさしぶりだったので,ちゃんと繁栄されないまま閉じてしまったようです。
あらためて,久しぶりです。といっても,もう以前のお友達は誰もみていないのでしょう。私もだれがいつもみていてくれたのかさえ忘れかけています。
ちょっとした悩みなんかをやさしく受け止めてくれたり,現実から逃げてきたときにここの空気はとってもやさしかったな。
もう今年も終わりです。
今日はすこしぱーーっと遊んで。
あした少し仕事して。
年を越したいと思います。
また来年会いましょうね。
以前は、アクセス数とかみたり何人の人が読んでくれたかなぁ
なんて気にしてたけど、こっちの世界での自分が嫌になって暫く違う世界を徘徊していました。
するとコメントなんか入っていたりして、びっくりしてさかのぼってみてみると
どうもあやしい。
逆に勉強になるけどね、まったく記事を読まなくても相手が喜ぶようなコメントって書けるのねー
って。
何でも悪いことに使おうとする。
それを法規制すれば自分ががんじがらめになる。
もっとおおらかでいたいよね。
って、だれも見てないよね。
まあそれもいい、ちょっと気に入った文章があったから載せるよ。
僕は14歳のころ、いつか彼女が欲しいなと思った。
僕が16歳のとき、彼女ができた。でもあまり情熱的な子ではなく、人生に色を添えるような情熱的な子が必要だと思った。
大学生になって、情熱的な子を彼女にした。彼女はちょっと感情的だった。全てのことに過敏に反応し、メロドラマのヒロインのようにすぐ泣いた。自殺をほのめかして脅したりするので、僕はもっと落ちついた彼女が欲しいと思った。
25歳のときに、とても落ちついた子を彼女にした。でも彼女は退屈だった。すること全てが予測できて、面白みがなかった。人生そのものが単調に思えてきて、エキサイティングな彼女が欲しくなった。
28歳になってエキサイティングな彼女をゲットした。だけど彼女には着いて行けない。1つのことに留まらず次から次へと移り変わる彼女は、衝撃的でクレイジーで、僕を幸せにもしたけれど、みじめにもした。彼女はジェットコースターのようにエネルギッシュで、いっしょにいて楽しいけれど、方向性はなかった。だから志(こころざし)を持った子を彼女にしたいと思った。
僕が30歳になったとき、頭が良くて、志を持っていて、しっかり地に足が着いた子を見つけた。だから彼女と結婚した。彼女はそれはそれは大志を抱いて、離婚と同時に僕の所有する半分を持ち去っていった。
僕は歳を重ね、賢くなった。
今は、ただ胸の大きい子を探している。
しかも、日本は第一戦と総入れ替えのメンバーで。
たしかにオーストラリアも二軍だったそうですが、それでも国際大会ですからね。
躍動したのはオリンピックでおなじみの顔でした。
なるほど。
日本はこのレベルの選手層があついんですね。
たしかに大迫や斉藤といった選手はアジアにそれほどいるとは思えませんが、今回出場したどのポジションの選手もじゃあすぐにレギュラーである本田や香川などと入れ代わるとも思えません。
まだまだ経験などは見劣りしますね。
でも、前田や遠藤といったベテランを支えられる存在にはなってくれるかもしれない人材もいるように思います。あと一試合しかも韓国戦
輝く一番星になってくれる人がでてくれることを望むばかりです。
私は、サッカー界において、中田の偉大さをわかりきっていないのかも知れない。
ただ、以下の対談を読んで本田の大きさはよくわかる。
中田はことある毎に摩擦を起こしてきたのは良く耳にする。
それはチームメイトだけでなくファンともマスコミともトラブルを起こしてきた。
それを、一流の選手はそうで無いとという擁護もあったが私はどうしてもそうは思えなかった。彼ほどの能力があれば、それはスタイルというものではなく、おごりやわがままに近いとさえ思う。
思いやりを持てないのは、余裕の無さを示しているということがなぜ今になっても理解できないのだろう。彼のその部分の欠落がどうしても彼を「不思議ちゃん」とみる人達を消しきれない要因だろう。
この対談でも、散々やっておいて、最後に俺はいい人になってしまったのが後悔としているのをみて、やはりこの人の限界を感じる。彼はあそこで引退していてよかったのだろうと改めて彼の幸運を思わざるを得ない。
さて、私は特に本田を大好きというわけでは無い。けど、その対極にあるのが本田。この対談でその人間性に魅力を感じてしまう。
彼はビックマウスといった表現で中田の後継者みたいな扱いをうけ、サッカー界ではまだまだ中田に追いつかないといったこともいわれるが、じーらはそうでは無いと思っている。すくなくとも、人間性においては中田を凌駕し今の日本代表において歴代の伝説になるひとがいるが、その中でも特筆すべき選手になりつつあると思える。
人に思いやりがあってこその、我が道。
中田には見えないことを、本田はすでに見えている。
本田が中田にいった
「本当にそう思います」
は、子供のあやす親の気持ちを持っている言葉かも知れない。
~前略~
<中田英寿>
まあ、自分のわがままなプレーをし続ける選手は、バカか、本当にいい選手か、どっちかで終わる。結果が出れば、本当にいい選手になるし、結果が出なければバカだな(と言われる)。だけれども、バカな選手と言われても、そこで終わるわけじゃない。絶対にそういう選手っていうのは、沈んでも上がってくる。大体そう。あいつパスも出さないし、FKも全部蹴っちゃうし、持ったら全部シュート打つよ、本当どうしようもねえなって言われている選手だったとしても…
<本田圭佑>
3試合後くらいにハットトリックとかしてたりするんですよね。
<中田英寿>
そうすると、それまでが全部帳消しになっている、ヒーローになっている。それがサッカーの世界であり、それを周りからこうやるからちょっと譲らないととか、パス回さないととかって思い始めると、いい選手。すごいいい選手にはなれずに、いい選手で終わってしまう。だから結果がでない時でも我慢し続けて、本当に自分の好き勝手、特に外国では本当に自分のわがままでやらないと、上に昇り詰めたいと思うんだったら、それをやらないと絶対に無理かなと。まあ、ボクの経験上。
<本田圭佑>
本当そう思います。
~後略~
中田選手は2006年のワールドカップで、
上でいう「いい選手」で終わってしまったことを
一番の後悔として語っています。
この対談を聞くと、
以下の中田選手の言葉がよく理解出来るのではないでしょうか。
どうすれば
自分がいちばん楽しいか、
いちばん気持ちいいか。
それを自分で考えて、自分で選ぶこと。
しかもそれは、
今まではこうだったとか、
他の大勢の人から見てこう思われるとか、
そうゆう枠すら取っ払った、
もっと自由で自然体なもの。
【中田 英寿選手の名言より】