　お互いが何か似たようなものに惹かれていたりすると、歳とか関わる仕事とかを飛び越え、急速に関係性が深まったりする。そうした感慨を味わうような出会いがあった。

　息子とさして違わない年頃の青年だが、当事者同志でなくては暗号のように聞えるかもしれない言葉で、初めから彼とは会話することができた。６０年代７０年代の映画や音楽に精通し、そうした雰囲気を醸す服が提案できる、注文服店のオ－ナでありデザイナーだ。

　夫が入院する病院の最寄り駅近くにその店はある。病院に向かうには、店の前の横断歩道を渡らなくてはならないから、信号機の赤でしばらくたたずむとき、振り返って店のぶ厚いガラス扉向こうの、レトロな人体が着る服を眺めるのを、小さな楽しみにしていた。

　ある日、その人体に大好きなピスッタチオグリーンの一重のコートが着せられていた。夫のその日の状況が落ち着いていたのだろうか、それとも家と病院を行き来するだけの日々に倦んで、息抜きをしたかったのだろうか。帰宅する電車に乗る前に、呼び込まれたように扉を押し店に足を差し入れた。

　親の創業した店を継いだという彼と会話していると、言葉数を重ねずともこちらの意図する好みが上手く伝わる。衣装や映画の嗜好が近く、話し続けていても疲れを感じない。布１枚ごとにある物語を語る彼の語調が、心地よく響いた。

　その居心地よさに思わず長居して、いまはイタリアのレースに関わっているが、２０年ほど前まではアジアのテキスタイルや手仕事をもとめタイやラオス、カンボジアなどを彷徨っていたの、と打ち明けた。タイ、チェンマイ郊外のバーン・ライパイ・ガーム（美しき竹の村）という綿工房のこと、その工房を起した今亡きセンダー・バンシッの布はシリキット王妃が国外禁止にしたほど貴重であること、カンボジアのアンコールワットのあるシェムリアップという町からボコボコに穴があいた道を車で１時間ほど行った村で、戦火で途絶えたクメール絣の再興に取り組んでいた森本喜久男さんを訪ねたことなどの話に、興味深げに彼は耳を傾けてくれた。

　ちょっと待っていてください、さっと上の階に上がった彼が、２枚の布を抱え戻ってきた。

　「これを見てください。ミャンマーの蓮糸の布です」

　「えっ、藕糸？すごい！！」

「ご自身で行かれたの？」

ふだんの暮らしでは耳慣れない「藕糸」という言葉が、ひょいと私から洩れ出たのだから、彼も驚いただろうが、であれば話は早いとばかりに言葉を続けた。

　「そう、ミャンマーのインレー湖で、水上生活をする人たちが採取した蓮から糸を績み機を織っていて、それを分けてもらいました。この染めてある方は、高位なお坊さんだけが纏う色のもので、国外持ち出しには制限がある、といわれかなり苦労して持ち帰りました」

　藕糸という言葉は、余程でなければ知る人はいない。そんな希有な布の名を私が口にしたものだから、彼も嬉しかったのだろう。これは誰かれにでも披露する布ではない、という。

　「こちらは染めていない、蓮糸そのままの色です」

　絵本で『中将姫』の物語を読んだとき、話の筋立て以上にお姫さまの織りあげた曼荼羅が蓮の糸でできているということが印象深く、幼子の心に残った。それはどんなに貴重な糸なのだろう、どれだけ細い糸く頼りなげな糸なんだろう。子どもなりに想いを馳せていた。その蓮から生まれた糸に、１度でよいから触れてみたいと願ったものだ。

　以前、クメール絣を探して訪ねた有楽町の織田有という店で、偶然に女主人から藕糸布で作られた袱紗を見せられたことがあった。それが実在する蓮糸の布との初めての出会いだった。

情が濃い、といわれたりする。だからなのか、忘れ得ぬ記憶、忘れ得ぬ人、忘れ得ぬものを抱える度合いが多いような気がする。幼少時の感動を忘れられず繋いできたひとつが、藕糸だった。

それだけに意図せず偶然に服にもできる藕絲布と出会った瞬間、それを纏ってみたいという欲が動いたが、病床の夫の様子を思えば、すべてが意味ないものになって失せていく。

画像はいずれもWEBより

　まもなくAemilia Arsを学ぶためにボローニャに発ち、ひと月あまりを過ごす。現在レースのビエンナーレがヴェネツィアの町で開かれているが、その一環として先生たちに混じり、私たちのレ－スをPalazzo.Mocenigodeでデモストレーションするという話が届いた。今は衣装博物館としてPalazzo.Mocenigoは公開されているが、ヴェネチア共和国時代には何人ものドージェ、総督を輩出した由緒ある一族の邸宅だ。彼らが貴賓をもてなしたPrima Nobileの空間で、さて、何を纏う。衣服に多少でも関心があればそんな思いが湧くはずだ。服好き、布好きの私の虫が、久しぶりにざわついた。

　思い巡らすうちに、Voqueで目にした藕糸布に思い着いた。當麻縁起に繋がるあの布。台(うてな)は蓮台というほど、蓮と御仏の縁は深い。

　しばらく連絡をしていなかった件の青年に、連絡を入れてみた。

　「まだ、あの藕糸の布はお手元にあります？」

　彼の提案と私の好みをすり合わせ仕立てられた藕糸のジャケットが、数日まえに仕上がった。もう旅支度もほぼ終わる。あとは手荷物の点検が残るだけ。揃った手荷物の１番上にジャケットは、そっと重ねていこう。

蓮糸のジャケット｜Junko｜note 　藕糸布でジャケットを誂えた。藕糸布とは、蓮の繊維を撚り合わせた糸で織られた布だ。蓮茎を数本束ね周囲にさっと刃をひと回してくるりと左右に引くと、白い数本の繊維が引かれ出る。その生まれたばかりの繊維を、わずかに湿らせた作業台の上ですっと撚ると、糸になる。１度の作業で績む糸の長さは数十センチほどで、熟練した者が１日かけても出来る糸の量はわずか１５gほ…

note.com

藕糸布、蓮糸の布