「あたし、うちに、百枚、きものを持っているわ」

服作りに集中していると、からだのどこからワイダのか細い声が聞こえてくる。

　『百枚のきもの」を初めて手にしたのは、就学して間のないころだった。当時小学校の校長職にあった祖父が、勤め先の学校図書館の蔵書入れ替えで廃棄対象になった岩波のこどもの本シリーズを、学校に通うようになった私に与えるために何冊ももらい受けてきてくれた。

早くに母をなくし、まだ幼い弟妹の世話をしながら勉学に勤しむよう父親から一方的に仕向けられたという祖父は、言葉数が少なく笑うのも不器用な人だった。

　しかし初めての孫の私には素直な愛しみを示してくれたように思われる。祖父から何かを与えられたという思い出は、私にだけにしかないらしい。歳を重ねる節目ごとに手持ちの本を処分してきたが、この岩波のシリーズは一冊も欠けず今も手元に残してある。

　『こねこのピッチ』や『ぞうさんババール』を愛でる幼子に、『百枚のきもの』は文字数も多く挿絵はわびしく、当時熱心に読んだ記憶はない。

　「わたし、うちに、百枚、きものを持っているわ」

　ワイダ・ペトロンスキーがクラス一番の人気者ペギーにひっそり告白したひと言が、いつの日からからだに棲みついたのかわからない。ただ蔦サロンという展示会場で、東南アジアや和布の衣服を展示するために、１年に２００枚製作する目標に追われていたある日、

　「あたし、うちに、百枚、きものを持っているわ」

　ワイダの小さな声が泡粒のようにからだのなかでこだました。

　人生を折り返す年齢になって、ヨーロッパの人種間の根強い優劣意識や移民差別の歴史を聴講生として学び、初めて、母のいないポーランド移民のワイダ家族が面した社会状況を理解する知識を得た。それまでポーランドといえば、ずっとショパンの生まれた国でしかなかったのだから。

　久しぶりにベスト作りをしたからだろうか、弾む声して山陰の山間部に住いする友人に、「リメイクする着物布があるならば、ベストくらい作れるけれども」と電話をかけた。同じ歳の彼女は、母堂と弟二人をこの１年内に看取り、今は長屋門のある大きな屋敷に独りで暮らしている。

　思いがけず１枚どころか何枚もの紬が彼女から送られてきた。その中にちょうど手がけていた小袋の裏地にぴったりの胴裏の着物があり、さっそく荷が着いたその夜から着物を解き出した。

弾んだ気分の裏に、レース作業から数日離れたいという欲求を、私は隠していた。

　ドングリとザクロの図案が一応完成し、その写真を先生に送るも先生からは手厳しい指摘があり、針持つ毎日に、めずらしく息苦しさを感じた。

　結局５日ほどのあいだに、着ていてからだが疲れない服を、という彼女の注文に合ったものが結構な枚数仕上がった。

　そう、このときもワイダのことを私は思い出していた。