どうも脱水症だったらしい。パソコンを睨みながら資料をまとめるのに、水分を摂るのも忘れ集中してしまった。起床すぐから倦怠感で身体が上手く動かない。苦しいほどの暑さでもないのに、顔からボタボタと汗が出る。気分転換にと針を持てども集中できず、眼鏡の下から汗が滴り落ちる。それを写真に撮り友人に送って笑い話をする辺りまでは余裕があった。でも次第に頭痛と耳鳴りの度合いが大きくなり、目眩もする。夕刻から寝入ってもそうしたことから解放されないので、大真面目に体調の悪さと向き合うと、以前母が血中の塩分不足から、気まで病むようなひどい不調に陥ったのを思い出した。

 

  




 


 

 

 

 買い置きの経口補水液を2日続けて飲んだら、うそのように身体が軽くなった。調味料も食材もなるべく自然素材のものを摂る方向にあると自負していたが、とにかく食べる量が少なくなっているから、ミネラル類の補給を意識しなくてはいけないと痛感した。体調が上向いた翌日、「この間は何だか元気がなく見えたから、朝採りのこれでも食べて」とご近所さんが砂糖菓子のように甘い唐黍を抱えて来てくれた。

  

 

 

 

 

 さて展示会の打ち上げをどこでしましょうか、という話が起きたとき突然脈絡もなく『バベットの晩餐会』という映画が思い浮かび、「思いっきりいい食材で美味しいものを食べましょうよ」と勢いよく口を滑らせてしまった。だからといって海亀のスープやフォアグラ詰めのパイを私が作れるはずもない。思いついたのは、今が旬のムール貝をふんだんに盛り、そこに車エビや鯛を入れ込んだポルトガルの鍋料理をメインにする自宅昼餐会だ。名シェフのバベットのメニューを持ち出されたら、バベットとはあの時気分で口が勝手に動いただけと、言い訳する心づもりは出来ている。

 

 

 

 

 私の息子家族たちも展示会に顔を出しパオラに挨拶をした。肝が据わって愛らしいことをやってのける7歳女児は、パオラにしっかりとハグをしたものだから、パオラも大喜びで、「秋に、あの子の首回りに合わせた襟の型紙を作って来なさい。私がそれにデザインを描いてあげるから」と言ってくれた。いやいやすぐに成長してしまう子どもサイズでなく、大人用のものを作っていけば、長くあの子も妹も使えるに違いない。その時から、レースの付け襟のことが脳裏に貼り付いていたのだろう。

 

 

 

 洋画を観ていると、時折印象深いレースの襟に出会う。エルマンノ・オルミ監督の『木靴の樹』では、貧しい小作人の娘が花嫁である唯一の証に、首元に小さなレースの襟を着けていた。そうだ、あの『バベットの晩餐会』でもレースが印象的に使われていた。

 デンマークの寒村の沈んだ色調に、溶け入るようなマーチーネとフィリパ姉妹の服装が、その晩餐会のときにだけ繊細なレースの襟で装われ、透明な美しさを放っていた。晩餐を給仕するバベットのエプロンを縁どる微かなレースも忘れられない。


 

 貴族たちの荘厳なレースもたしかに見応えあるが、ひとつそのレースで彩られると、ありふれた日常がさっと特別なものに一変する、そんなレースに心惹かれる。



 

 すでに2度もステッチしたものに、もうひと度向き合うと決めたり何なりで、秋のボローニャ行きの準備を始めたが、そうした合間に普段使いでない食材のメニューに思いを巡らすのは、久しぶりだ。こうしたことを可能にしてくれる仲間がいることに、感謝する。