image

 

 

 

   

 考えようとすると、頭がそれを拒む。何するでもなく呆然と座るだけの日が続いた。

思えば一昨年の展示会の企画あたりから、心も身体も走ってきた。結局展示会の後にAemilia Arsの手ほどきを始めることになり、その集まりを大きくする目論みなど毛頭もないが、僅かな人数でも組織は組織で、それを軌道にのせるには、やはり配慮と気力が求められた。

 

 

 

 

 

 加えボローニャの教室では講師陣の世代移行がうまく展開せず、会員全員の投票にまで話が発展した。結果、この生まれたばかりのちっぽけな日本の集まりが、あちらの投票結果を左右したことで、予期せぬ攻撃を被るやら心機一転新たな年を迎えるどころか、心身消耗する深みに喘いだ。ボローニャに隣接するブドーリオという町は、オカリア発祥の地だ。

 

「まるでブドーリオに住んでいるかのように、教室に出入りする日本人に、投票の権利などあるわけもない」ひとりの言葉の底意に差別の臭いが漂う。

オカリナの異名は「ちいさなアヒル」だ。背丈もなく、ネイティブのように会話できない私をヨチヨチ歩くアヒルに擬えたと直感したのは、神経の尖らせすぎだっただろうか。

 パオラとは別の師のもとにいた彼女と私が、直接に交流した記憶はない。だから本名を知るよしもないが、彼女のハンドルネーム、Amo La vita(私は人生が大好き)が心に刺さった。あの人のいう「人生」とは何なのだろう。

 

 

 

 

 ステッチには心の健やかさがもとめられる。雑事に惑わされない強さのある人の糸すじを見れば、それは一目瞭然だ。私のようにあれこれに気づいてしまう気質は、針目の乱れがあらわで、作業に情けなさが伴う。あぁ、もうそれが私なのだからと開き直るが、ここまでこのレースに辛抱し関わってきたのだから、もう少し合理的な過ごし方を身につけ、満足できるものをひとつ仕上げたいと願う。

 

 

 

 

 といってもどうするのが合理的な生き方かわからないが、田中くんという中学の同級生を思い出す。都内の片隅のありふれた中学だったが、広島での被爆体験や東京大空襲のさなかに眼に貼りついた惨状を、卒業前の最期の授業の折りに教師たちは淡々と身の丈の言葉で、私たちに話してくれた。

「戦争」が我が身から遠い「大きな物語」ではなく、ありふれた私たちの日常のなかに「戦争」があると気づいた原点だ。

 戦争について語りたい、語らねばならないという人たちが、あたりまえのように日常にいた時代だった。

 

 

 


 今ではありえないことかもしれないが、あの中学は定期試験の結果、上位50人の得点数を順位に並べ、毎回廊下に貼り出した。白い巻紙を抱えた教師の姿が廊下に現われると、勉強の成果が気になる人だかりが、教師を囲んだ。



 2年生のときだ。「あれっ、田中ってだれだ?」と多くが感じたであろう生徒の名が、首位にあった。9教科のすべてが満点だ。主要科目といって国数理の5教科には力をかけるが、他科目ではちょっとしたミスで点を取りこぼす人がいるなかで、全科目満点は珍しかった。小柄で細い体躯の田中くんは、同じクラスにいた。あまり目立つ方ではなく、教室の入り口近くのいちばん前に座っていた。その田中くんに、ある日技術家庭の勉強の仕方を訊いた。

 



 塾通いする人など誰ひとりいない公立中学だったが、それぞれが希望する進学先におさまった。田中くんは、公立高校を選択せず、大学の付属高校から系列大学の理工学部、大手企業と歩んだ。彼とは、50歳の頃に同窓会で再会した。やはり誰かれに積極的に話しかけるでもなく、静かなたたずまいを醸していた。
 技術家庭で確実に点数をとるコツを教わった思い出話をきかっけに、今はどんなことをしているの?と訊ねた。

「会社での先は見えたから、今は古事記を読んでいるよ」

「エッ?!あのニホンショキ、コジキの古事記?」理系路線を歩んだ彼から、突然日本の古書名を挙げられ、少しうろたえた。「いや〜、もう会社での先はわかったから、これからは自分のルーツとかを考えたいし」と彼は微笑んだ。

 

 

 物語るわけでもない、田中くんの声。「先は見えたから、、、、、」

あの図案も、この図案もと欲をかくのではなく、Aemilia Arsとの関わりの行く先を念頭に私もステッチせねばと、多事多端に追われるばかりの、お人好し暮らしを省みる。

 

 

 

 

 

 

 


 

 12月から始めた襟の図案が終わった。心身疲弊するなかでしがみついた針目には、安らかさがない。インスタに友人がコメントしてくれた。

「春の花ですか?デリケートなのになんだか健気に強い感じ」

「多事多端の嵐の中でステッチしていたから強いのかしらね」と応える。いつも熱心に私の仕事を見てくれる彼女は、針目の向こうを言葉にする。

 

 

 

 

 

                        幕末期の婚礼布団と結城で作ったコートを、再度ジャンパースカートに
 

 

        

                             友人宅の八朔で作った大量の八朔カード



 レース以外のことをしよう!

 

仕込みものを作り、映画を観、本を読み、古巣戻りの服のリメイクなどなど、少しは心持ちに日常が戻った。毎週のように映画を観たからだろう、停止していた脳ミソが動き出し、言葉が湧いてくる。やはり頭の全域を刺激しなければいけない。 フィリピン映画『Abaut us but not abaut us』では、ワンシチュエーション、ノンストップの濃厚な90分に、久しぶりに共感覚が揺さぶられ、創作者の心意に触れる醍醐味を味わった。人心の美醜や凄みをありふれた「日常」に見るのが、私のいちばんの関心事なのだと、再確認した映画だった。

 

 

 脳が活性すれば、ステッチもいま少し向上するかもしれない。