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残りのバラ

 

 

 

 

 

 

     日本中が冷えこんだ大寒の翌日、フィレンツェから一時帰国の友人が我が家に立ち寄ってくれた。普通に暮らしていても挨拶ついでに寒い、寒いと誰も彼もが交わすのだから、長旅を終えたばかりの彼女にはさぞこの冷え込みは堪えるだろうと、いつもより早くにストーヴに薪を焼べた。

 

 

 

 

 

                                                                                       

 

 

 

 

 

 

 

 在伊歴の長い彼女にイタリア料理を供しても意味がない。といって会席もどきに挑んでも、高が知れている。あちらにいてしばらくすると、私は蓮根とか牛蒡といった根菜類が無性に恋しくなる。1年のヴェネツィア暮らしでは、フォンドというカルチョーフィの芯のような部分に執着し、毎週のように炊いていた。

 これから友人や家族との会食もたくさん用意されているはずだ。思案の末にいつものお菜を並べることにした。串打ちした素性のよい鶏肉を焼いて、カボス塩麹を添えるつもりだったが、疲れと寒さとで硬くなった胃腸を解くには、やはり鍋だろうと、米を入れない参鶏湯にする。

 

   








 

 他にも何かこの時節にしか口にできるものはないかしらと、思い巡らせ庭の蕗の根元を探れば、まだ硬いが薹の膨らみがいくつか手にあたり、款冬華(ふきのはなさく)の時候を初めて体感し、思わず歓びをひとり言ちた。独り暮らしを嘆く普段はないけれど、こんな天の恵みものを分かち合える存在が傍らにいないのは、やはり堪える。古代人の暮らしへの目の確かさに、感嘆だ。

 

 

 

 

 

 

 

 惣菜ばかりだから、食卓と台所を行き来する忙しさもなく、イタリア人思考のあるある話のついでに、年末来翻弄されてきた出来事にも頷いてもらえ心が解けた。実は心身症に陥るような疲労を抱えていたわけで。

 

 

 

 

 

 昨秋からのあちらの教室に絡む懸案事が、こともあろうに年の瀬にバタバタ動き出し、上手くないイタリア語でほぼ毎晩、ひとり格闘する羽目に陥っていた。事態が落ち着いたのは、もう大晦日のまだ夜が明けやらぬ時分、86歳のパオラが再び日本に来ることになった。

 

 

 

 その日に日本に着くには、そちらを前日に発たなくてはいけないですよ

 

 なんで???

 

 

 

 一度日本に来て時差を体験しているはず!あちらで私が時差ボケをぼやくのを聞いているでしょ!と心内で叫びながら、手元にあるデジタル時計の写しを送ると、「8時間違う、、、」「そうよ、お休みなさい、先生」「Buona giornata a te ❤️」

 

 

 

 

 

 

 

 これまで時差など念頭になしで、思いつくままメールを寄こしていたことに、思い至ったかは定かでない。年が明けてからも交信は続いたがさすがに深夜に連絡をしてくることはなくなり、パオラの「Va bene ho capito」のひと言で、長きにわたったやりとりは終了、彼女の来日の概容は収った。 

 

 

 

 

 この一件でステッチが大幅に遅れた。心して向き合うつもりでいたスズランも、どこか形状が揺らいでいる。安寧な心地で図案と向きあっていない証だ。

 白百合、マリーゴールドと聖母マリアを象徴する花はいくつもある。スズランはマリアの涙だ。エミリア・アルスにはいくつかのスズランの形状があるが、いちばん気が抜けないのが、このスズランへのステッチかもしれない。それなりの太さの糸で小さな花弁を作り、極細の糸で輪郭を囲っていかなくてはならない。

 


 

 この小さな花弁たちに、スノードロップ、待雪草が重なるのは、このところの各地からの雪の便りの所為ではない。最初からこのスズランの向こうに待雪草が透け見えていた


 

 

 

 

     きのうはまだ空からひらひらと

     舞いおりていた雪が

     今日は鈴のように滴りつらなって

     細い茎に並んでいる

     雪のはなは静かな林で鈴をならしている

     それはなんの合図?

     あぁ、すぐにも来ておくれ!林のなかで

     春が時を告げている

     あぁ、芽を出しておくれ葉よ、

     咲いておくれ、花よ

     すべてのものが春を讃えはじめている!

     遅れずに出てきておくれ!

 

 

 

 

 フリードリッヒ・リュケルトの詩にシューマンが曲を添えたリート『ゆきのはな』を知ったのは、梅津時比古さんの『水車小屋の娘』の講座でだった。偏愛するシューベルトの歌曲を紐解く言葉に浸ったあの空間が、どうしようもなく恋しい。あの頃どれだけの幸せを味わっていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後妹の自死があり、老いた両親の破滅的な不和が生じた。重なるように死に至る夫の医療過誤が起きた。無惨に老いた20年だ。家族との縁に薄い生まれは、家族に安らぐことはないようだ。長い旅だったが、大語に拠らぬだけを心した。政治屋の文言を嫌うのも、ここにある。

 

 

 

 細かなもの、幽きものは、目を凝らし凝らし見なければ、在るさえ気づかない。簡単に踏みにじれような小ささに拘ることで、矜持を保ち旅ができた。エンデの「幼きもの」にも同様な意味合いを感じる。

 エミリア・アルスの小さな空間と向き合いながら、私事にそんな「哲学」を試みる。もう時間の向こうにしか悲しみが見えないほど、老いたのを実感する。