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高知県の須崎が出身の植物学者、牧野富太郎博士が五台山への設置を提言し、
その博士が95歳で亡くなった翌年(昭和33年)に開園したという県立植物園です。
冬ということもあり、今も時期が見頃な植物というのも少なかったですが、
南国土佐ゆえに雪を被ることが少ないのは、来園者に見てもらう観点からも、
かなり強みになっているかとは。

そしてもちろん、園内には牧野富太郎博士の生涯を紹介した展示などあり、
私は植物を見るよりもむしろ、そちらの展示中心に見学をしていた感じでした。
http://www.makino.or.jp/dr_makino/frame/f_makino.html

博士がどんな生涯を送ったかは、上のリンク先をご参照いただくとしまして、
    「いつまでも 生きて仕事にいそしまん
                 また生まれ来ぬ この世なりせば」
という歌を残すほど研究に没頭した蔭では、糸目もつけずお金を使い、
子供も13人(うち成人できたのは6人のみ)作ったということでありまして、
一時期の生活の困窮具合は、想像を絶するものがあったそうです。

家賃が払えないために家主から追い出され、年末のたびに引越しをしたり、
約束どおりには借金が返せなくなったことを債権者にわびるため、
出産3日後の身体にもかかわらず出掛けていかざるを得なかったりと、
壽衛夫人の苦労は並大抵のものではなく、そのせいもあってか、
富太郎66歳の時に、子宮癌のため夫人は54歳で亡くなってしまいました。
http://mblog.excite.co.jp/user/forestjo/entry/detail/?id=6230187

博士はその内助の功に感謝をし、自身で発見した新種の笹に「スエコザサ」と命名。
写真4枚目にありますのが、その笹の実物です。

      [見学日:平成22年1月10日]