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院内駅から4km以上歩いた山の中、その入り口はありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E5%86%85%E9%8A%80%E5%B1%B1

史跡付近で山菜を採っていたおじいさんの話では、昔はもっと山側の方のほうにも道が通じ、
そちらの高台にも集落が広がっていたのだとか。また、戦後の少し後までは学校もあり、
金山神社の祭礼の際には、荒くれ男たちが酒を飲んでは大喧嘩していた
…なんて場面も見てきたそうです。

また、1本だけ通行可能となっている道路は、かつて皇族の方がここを訪れた際、
その下準備として舗装が行われたものだそうで、そんなことでもなければ、
未だに砂利道のはずだったらしいです。

かつては2万人が住んでいたとも言われる場所ながら、いまや木々が生い茂り、
「一体どこにそんな大集落が??」
というのが見た感じ正直なところでした。

      [見学日:平成21年5月24日]

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