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藩祖・徳川頼宣は家康の十男であり、もともとそれなりの格式の城を持てる地位だったはずなのですが、
それでも幕府の嫌疑を受けてしまうほどに、特別大掛かりな工事だったのでしょうね。

解説板にある「責任を帯び病死」とは奇妙な言い回しですけれども、
実際には責任者が全て一人で被って“切腹”しているところを、
当時の社会では表向き“病死”と発表するのが通例でもあり、
おそらくこれもそういう意味なのかと。。。

    [撮影日:平成21年4月19日]