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後に江戸幕府の大老となる井伊直弼が、青年時代をすごした彦根の住居です。
彦根藩第11代藩主井伊直中の十四男として生まれた直弼は、
もともと藩主になる見込みはありませんでした。ずっと“埋もれ木”の
ような人生であることを覚悟しつつ、ここで武芸・学問に励んでいたそうです。

彦根は江戸幕府が上方ににらみをきかせる拠点の一つであり、
周辺の街道は、すべてここを通るように作られていました。
そのため、長崎で外国事情を学んだ知り合いなどが、その旅の道すがらに
訪ねてくることも多く、直弼は様々な知識を得ることが出来たといわれています。
そして、すでにこの場にいた頃から、
「日本は開国しなければならない」
との想いを秘めていたのだとも…。

直弼の頭の良さは相当なものだったらしく、仏教も八宗派すべて学んでしまったといわれます。
そしてある時、どの宗派が一番優れているかと問われた際には、
「分けのぼる麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」
という古歌の引用(つまり「目指すところはどれも同じ」という意味)で回答したとのこと。

幕末に倒幕を目指した人達からすれば、直弼は“安政の大獄”と言われる尊皇攘夷派弾圧を
行った“敵”との認識ですから、明治以降、いろいろ悪く語られたりもしたようで・・・。
しかしここのところは、その人物像を見直す動きも活発になってる模様です。

(埋木舎の関連参考サイト)
http://www.ohmitetudo.co.jp/outdoor/spot/hikone/umoregi.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8B%E6%9C%A8%E8%88%8E