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歴史を遡りますに、醤油が初めて量産された場所は、おそらくここ湯浅かとも思われます。
十三世紀はじめ、紀伊の由良に興国寺を開いた法燈国師は、中国から日本へと径山寺味噌
(=金山寺味噌)を伝えた人でもあります。そして、湯浅の人々に径山寺味噌の作り方を
教えていたある日のこと、入れる水の量を間違ったことが、醤油発見につながったらしいです。
水を入れすぎたがため、本来作る予定でない液が溜まってしまったのですが、
これを調理に使ったところが殊のほか美味だった…とのことデス。

もともと交通が不便な場所だけあって、当初は自家用にのみ製造されていた醤油でしたが、
安土桃山時代になりますと、商品として上方へ出荷されるようにもなったのでした。
そして江戸時代には、紀州徳川家による保護政策もあり、千戸規模の湯浅に92軒もの醤油屋を
数えたこともあったそうです。そしてまたその頃には、関東の銚子をはじめとした日本各地へも、
醤油の製法が伝わっていきました。

近年では大メーカーによる大量生産が進み、また、ここは交通の便もあまり良くない…
という事情などあり、かつてのような繁栄ぶりではなくなっていますけれども、
今もここ湯浅では、蔵付きの菌を使用した伝統的な醤油作りの製法が守られ続けられています。
ちなみに、醤油ではなく、金山時味噌のほうを作っている蔵もありますよ。

なお、掲載写真は、いまも手作り醤油を作り続けている「角長」の建物の外観など。
昔は蔵の脇まで船が来まして、そこで醤油を積んで出荷していたようです。
また、慶応2年に建てられたという元仕込蔵が、見学無料の展示館になっています。