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先日は、鹿島鉄道(茨城県)の廃止を取り上げた記事を書きましたけれど、
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/30748853.html
その同じ3月31日、宮城県でも1つのローカル私鉄が長い歴史を閉じたのでした。

「くりはら田園鉄道」という路線です。
http://members2.tsukaeru.net/kuriden/index.html

会社設立は大正7年12月15日のこと。この地域にも早く鉄道を敷かないことには、
時代から取り残されてしまう…と危惧した地元有志の努力により、まず大正10年12月20日に
石越~沢辺間8.8キロが開業したのでした。その当時の社名は「栗原軌道株式会社」といいます。
翌年には沢辺~岩ケ崎(栗駒)間7.8キロを延長しますが、しかし経営は苦しかったようです。
会社の株価も暴落し、一時は廃止の危機だったようですけれど、やがて細倉鉱山が開発されて
貨物輸送が必要となりますに、情勢は一気に好転しました。昭和15年には細倉まで路線を延長する
ため大幅増資が図られ、翌年には「栗原鉄道株式会社」と商号を変更、そして昭和17年12月1日、
ついに細倉鉱山まで全線が開通したのでした。

戦後になり、昭和22年のキャサリン台風、23年のアイオン台風と、立て続けに大被害を蒙った
栗原鉄道でしたが、周辺の地方鉄道が復旧できずバタバタ潰れていく中、こちらは見事に復活。
そして昭和25年9月21日には、当時の国鉄に先駆けまして、東北初となる電化を果たしたのです。
昭和30年に「栗原電鉄株式会社」と社名変更されてからは、「くりでん」の愛称で親しまれ、
経営も貨物輸送に支えられて順調でしたが、その命綱というべき細倉鉱山は、昭和末期に閉山
の時を迎えてしまいます。こうして貨物輸送が廃止に追い込まれた栗原電鉄は、平成5年に
沿線5町へ経営移管され、平成7年には電車運行廃止。その後、「くりはら田園鉄道」
(※愛称は変わらず「くりでん」)として、ワンマン気動車による旅客営業が続けられてきましたが、
利用客の減少と県からの補助金大幅削減に耐え切れず、ついに、90年間の歴史に幕を降ろした…
という次第です。

「くりはら田園鉄道」という名前のとおり、もともとは田園地帯をのどかに走っていたローカル線。
しかし、廃止間際の時期になりますに、最後の乗り納めに行く人が急増しまして、雰囲気は一変。
連日、積み残しが出るくらいの大盛況になったのでした(^^;

まぁ、その最終日に到り、鹿島鉄道とくりはら田園鉄道をハシゴしたという私も、
明らかに“どうかしている”部類の人に間違いありませんけれど(爆)
なにはともあれ、長い間おつかれさまでした★