8対2でネガティブな日記

8対2でネガティブな日記

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 他人と関わるときに、何も考えられなくなる。でも、一緒にいる以上何か会話をしているに違いない。


別れた後に振り返ると、自分はなんとつまらない会話を相手に強いてしまっていたのだろうと後悔する。


 きっと、もっと身のある気の利いたテーマを提供することができたなら、もう少し相手に印象づけることができ、「また会いたい」という思いを抱かせることができただろう。


 でも実際は、自分の保身や見栄が頭の中で自動計算され、口をついて排出されていく。つまり相手に対して虚勢をはってしまうのである。こんなつまらない人間に、もう一度会いたいとおもってくれるお人よしはきっといない。


 意識するが、めったに合わない人に会うとそれだけでうれしさが、楽しさが勝ってしまい、会話が途切れることを嫌い、場を作ることに徹してしまう。なかなか直すことができない。


 結果このブログに書いて反省を己に促して、小さな懺悔をしている。



 一歩も前進しない。そんな自分に嫌気がさしているにもかかわらず、相変わらず足踏みしかできていない。


 現状に甘えている。適当に自分を正当化する。相反して危機感がつのる。


毎日、明日はこうしようと考えるが、結局無意味な一日をすごす。こんな繰り返しをあと何日重ねれば前に進むのかな?すべては自分にある。答えもわかっている。


ほんの1センチでいいのにな。


人とコミュニケーションをとることは難しい。それが親しくなればなるほど私には難しい。


 初対面であたり障りのない会話をする。たぶん、ほとんどの人は無意識に行う。うまく言えないが、実際にその場になれば私も周りと同じような会話をし、笑い、時間を過ごす。だが、そのあと必ず湧いてくる、後悔の、不安の得体のしれない真っ黒い気持ち。 どんよりとした気分。 こんな気持ちになるならいっそのこと誰とも会わなければ・・・・・と何度も思う。


 自分がどう思われているかが気になる。それに、こんな性格だから、良くも悪くもそういうことを敏感に感じ取れる。これには自信がある。子供の学校の保護者会、運動会、その他もろもろ・・・そのたびに同じ思いそしている。割り切れれば問題ないことなのだろうが、今更の話で、あと何年こんな思いをするのだろう。


 毎回、もっと人とうまく話せたら、もっと気軽に付き合えたらと、こんなことで神経すり減らさずに済むのに。誰かに理解してほしい、これはエゴ。でも、世間との接点を断ち切る勇気もない。


何度同じ決心をしたのだろう。「もっと人と関わりを持ってみよう、怖がらずに踏み出してみよう」何度徒労に終わったのだろう。


そしてきょうも 同じ決心をする。