昨日、片付けの途中で見つけた、若い頃に書いた夫宛ての手紙のこと。

ここ数年、家庭内別居状態にあり、会話もなく必要最低限の確認連絡すらLINEで済ませ、しかもこちらからの質問には既読スルーな相手。(悪意から、というよりは無関心による態度だと感じる)
当時の自分の気持ちを供養するつもりで、手紙は全部捨てようと思った。

でも一応目を通すと、そこには当時の自分がどんなことを考えて、何をしていて、将来どうなりたいか、人生観みたいなものまで書かれていた。
(残念ながら連れ君(夫)への気持ちは、甦るどころか、ふーん、そうだったの~って思っただけ真顔)



実はこの夏に、その何を考えているか解らないような連れ君が、解雇になる可能性があったくらいの大きなミスを犯したことが発覚した。

結果的には大幅な降格減給でひとまず手打ちにはなった。
が、元々「俺苦手だし」と私に丸投げしてきた学費や生活費の資金繰り、節約の負担などが今後は倍増しになる。

その一連の対応や相談をしている間、曖昧な態度を取る連れ君への信頼がどんどん失くなっていくのを感じ、今までの生活の問題や家族関係などの問題も相まって、近い将来に離れたいと思う決定打になった。



ざっくりと要約すれば数行でも、不安と失意と情けなさと不信と悲しみと…たぶん私は精神的にかなりダメージをくらっていて、まだちゃんと立ち直れていないと思う。
それで、自分のことも見失いそうになっているところに、過去の自分が戻るべき原点=本来の自分のあり方や望みを手紙で教えてきてくれた気がしたのだ✨昇天


以下、手紙から。
『(友の名)が言ってた。「好きと愛するは違う、愛すると信じるも違う。後ろにいくと難しいのよ」って。私は信じられない人を好きにも愛するにもなりません。』

だってさ。ずっと過去にちゃんと宣言してた。
だからここまででいいんだね。
まあ、愛されている感じももうないけども…ネガティブ若いワタシの決意表明を改めて受け取ったよラブラブ


他の手紙によれば、私の理想の結婚は「例えば美味しいものを食べて美味しいねと言い合うような」らしいです。

これ見たときに毛が逆立つほどハッとしたのですが…
それについては気が向いたときに…。



仕事上がりにパシャ。
年の瀬の夕焼け。
明日は仕事納め、今年最後の日が良い日になりますように。