聴診は幅広い領域で重宝する技術ですが、その反面看護師は軽視しがちなように感じます。一体なぜでしょうか?考えるに“自身の聴診に自信がない”や“何か起こっていてもいずれレントゲンか採血で分かるだろう”か“まぁ、何かあったと分かったらちゃんと聴診すれば良いか!”みたいなところではないでしょうか。
確かに聴診は、個々人の技術差はあります。ただこの技術差は熱意の結果と考えてもよいでしょう。聴診の技術は聴診のみでは上達はせず、レントゲンや採血、視診、SpO₂や脈拍と様々なデータと答え合わせをして始めて“ゆっくりと”上達していくものであると考えています。このプロセスを踏むことができない人は前日までの“副雑音なし”の波にのまれて自身も同じようにカルテに記載する。時短にも繋がるので適当に聴診器をあてて今日の”副雑音なし”が経過表を埋めます。
先日ご高名な理学療法士の先生のセラピーを見学させて頂きました。今まで見たことの無いような特別な手技を見ることはありませんでしたが、思わず息を呑む程真剣で丁寧な聴診をなさっていました。見えないものに触れるかの如く集中し聴診されており、気管内の分泌物のありかを探り当てておられました。胸の中は見えない。だから聴く。何とかして患者の中を見てやろうとする執念のようなものを感じ、普段の自分の聴診はあれ程の熱意をもって出来ているかと振り返りました。
聴診器も1816年の発明から随分と改良されてきており、きっと200年前より私たちはより簡単に、より良い条件で聴診できる環境にあるでしょう。聴診以外にも環境は良くなり、これまた大変ご高名な呼吸器内科医より“聴診なんかしなくったって呼吸器内科医は出来るんだ”と言いながら、涼しい笑顔で5年ほどナースステーションに置きっぱなしにしていた聴診器を持っていかれた時は“さすが御大!”とも思いましたが、病院、在宅、様々な診療科や場所で働く看護師は良い聴診器と熱意は持っておいて損は無いと思います。見えないのなら聴けばよい。なんと力強い発想でしょう!