去年の夏の終わり頃、知らぬ間に自分が愛の キューピッドになっていたことを知らされた。離婚済の女性と、妻に先立たれた男性。二人とももう子どもは自立していて一人身だった。一昨年の暮れ、大勢いるパーティーでたまたま同じテーブルに座っていただけなのに、幸せいっぱいの彼女は「宇宙」や「かみさま」と並べてわたしにも感謝の矛先を向け「あなたのお陰よ、ありがとう」と食事とプレゼントをくださり、乙女チックなのろけ話を沢山聞かせてくれた。
訳あって溜め込まれていた「すきですきで大すきなのよ!」な話を沢山聞いた。どうして放出するかというとね、「私がいつ死んでもこの気持ちが在ったことを知ってい る人がいてほしいから」なのですって。
↑いつかのブログより。
本当にすきですきで大すきで嬉しくってたまらない様子は、当時失恋ホヤホヤだったわたしでさえ嬉しくなってしまうほどだった。とてもとても良いこと。だのに人には色々あるのね、二人とも子どもや周囲の人には言えな いらしかった。「親の恋愛なんて知りたくな いでしょ」(わたしは知りたい)「こんなオジンが恥ずかしい」とかとかなんとかとか。だけど誰かに言いたい、溢れる想いが溢れちゃう!そこで、ほどよい距離にいて頭のゆるいわたしだけが二人の関係、主に彼に対する彼女の愛を知っていた。お互いそれぞれの生活を守りながらも週に一度は必ず会い、二人の愛は日に日に深まるばかり・・・。
先週彼が亡くなった。突然倒れて、そのまま逝ってしまったのだという。客観視すればそんなこともあろうかという年齢だし、愛されながら死んだのだ、幸せだね、と言えなくもない。だけど二人の愛は始まったばかりで、まだまだ最高に幸せ更新中だった。彼女が見せてくれたメールにはネパール育ちの彼ならではの言葉が溢れていた。
「愛に沈没しよー」
「愛たい(会いたい)」
「愛しいちゃん」
哀しいのにぶつける当ても、すがるものもないなんて。
わたしはこの純愛に感動した!わたししか知らないのはもったいないのでここに書いちゃうけどうまく伝わるかねぇ。