以前から時々縄文時代についての記事を時々書いていましたが
良き動画を観ましたのでシェアしたいと思います。
縄文時代の土地の中からは他者に命を奪われた形跡の遺骨は
見つからず、平和で公平な時代であったという考察があります。
弥生時代の研究者にすれば、弥生時代に入ってからの土地からは
他者に命を奪われたであろう遺骨が沢山出土し、困惑している
といった情報があり、それは筑波の博物館の研究者の証言からも
真実であったという事を知る事が出来ました。
縄文時代の傷ついた遺骨には腰辺りに矢じりが刺さった形跡が
あるものが見つかり、縄文時代も争いがあった?と胸騒ぎ
しましたが説明を聞いて安心しました。
骨の傷痕からは、傷を受けた後も寿命が全うされた事が判明、
住まいに連れて帰り治療や食事のお世話がなされ、直ぐに亡くなる
といった形跡が無かったとの事でした。
そういった情報が事実である事が動画の研究者の話から
分かりました。
平和な日本が弥生人の渡来によって争いが起こり、命が奪われ、
ピラミッド型社会が形成されました。
それは神武(崇神と同一人物という説もあります)と称する自らを
神の子供と自称した存在達の日本への浸食から始まったのだと
考えています。
おそらくは中国大陸からの渡来系、もしかすると半島という
可能性もありますが始まりは中国ではないかと憶測
しています。
崇神の故郷の中国には、崇神(中国名は崇神ではなかったと
思います)が日本を統治したという文書が存在するのだそうです。
以前の記事を紹介します。
こちらに崇神についての文献のコピーがありますので、
お読み下さると詳しく歴史と共に崇神についての考察が
書かれています。
長いので48号の章辺りから読まれると良いかなと思います。
崇神天皇は中国からの渡来系? | 地球と宇宙のスピリチュアルを学んでいます
奈良のまち,藤原京の形成は中国の都市にならって築かれたものという
事は以前にテレビ放送でも語られていた事です。
崇神(神武)率いる者たちは崇神の命に従って自分たちに従わない
縄文の人たちを抹殺さえしました。
そして饒速日大王から権力を奪いました。
そこに争いは無く、おそらくは無駄に人民を死なす事を恐れた
饒速日さんが権力を譲ったのかも知れません。
彼らの遺伝子に注目して下さい。
彼らの遺伝子は弥生人であるとしか言えません。
縄文人とは遺伝子が違い過ぎるのです。
おそらく大勢の家来が(数千人)渡来してきたでしょう。
そして縄文人と婚姻し混血となってしまいました。
融和しなかった縄文人は定住せずに移動して暮らしてきた
サンカの人々なのではと考察しています。
維新後はサンカの方々の自由も奪われて普通の日本人と
同化していったものと思われます。
五木寛之「風の王国」はサンカの人々をテーマに書かれた
小説ですがなかなか興味深い内容です。
弥生人の権力の頂点に居る人々は混血せずに同族と結ばれてきた
のではと考えています。
勿論、神武以前から渡来系は日本に入り込んでいた可能性は
あります。
ただそれまでは融和的に暮らしてはいたのかも知れませんが。
私は、以前から「日本は、日本人は特別だ」なんて論調には
賛同出来ませんでした。
権力者に取って大人しい羊に成り下がった日本国民の何処が
特別だ?なんて苦々しい思いがあったのです。
しかし最近では、特別だという論理に少し理解も出来る気が
してきたのです。
まだまだ眠れる国民が殆どであるのは残念ですが。
縄文時代は世界に類を見ないほどに長く続いた素晴らしい
時代でした。
興味深い動画です、是非ご覧になって下さい!