Tetsu龍 罷り通る -9ページ目

Tetsu龍 罷り通る

風景写真つれづれ
旅の紀行もこもこ

Tetsu龍でございます。

姫路に単身赴任して、はや2年が過ぎました。

あと1年ちょっとで、嘱託満了し、セカンドライフに突入予定。

 

昨年の11月30日に実に久しぶりに福山城に行ったのが

思いのほか楽しくて、城巡り初期に行っていた

天守閣のある城に久々に行っております。

 

福山城からの、

岸和田城(ここは比較的近いのでたまに行く)、

広島城、

岡山城、

小田原城、

大阪城(姫路に来るまでは、ここが断トツ1位の訪問回数だった)

そして和歌山城と。

今年は豊臣兄弟関連史跡と

初期に巡った城で攻めます。

 

さて、どうなることやら。

 

110番したことある?

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これは、確か前にも書いた。

 

子供の頃に、家の正確な場所が判らない

一本手前の辻から家の前まで

パトカーに乗せてもらって嬉しかった。

ハハ半世紀近く前だ(笑)

 

一か八かの勝負したことある?

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Tetsu龍でございます。

人生万事一か八か……!!

難い!

 

まず古代氏族としての「氏」の話から。

 

始まりは大和王権の成立辺りから確認出来て、

男系祖先を同じくする同族血縁集団と言うところからみたいです。

氏名(うじな)は朝廷内での職掌や根拠地、居住地の地名に由来する物から出ていて、大まかに分けると国名由来、原始姓由来、職業由来、宮号由来、皇族由来、名代由来、新たに姓を賜り命名された者になります。

 

また、古代氏(うじ)の後には格助詞の「の」を入れて読むようで、

この「の」が帰属を現したとか。

蘇我入鹿《そがのいるか》、源頼朝《みなもとのよりとも》等ですね。

これは、蘇我氏の入鹿、源氏の頼朝と言う意味だそうです。

成程、そう言われると何故そう呼んだのか分かる。

そしてこの氏は男系祖先の血縁集団の名乗りであることから、

例外はあるものの、基本的には婚姻によって他の氏族に移ったとしても、

名乗りが変わることが無かったらしい。

 

さて、次に氏(うじ)の構成ですが、これがまた難しい。

主家の家長が「氏の上」で、そこに所属する人「氏人」を統率します。

この氏には被支配そうの「部民」や「奴婢」が隷属させられていました。

 

はい、そこで出てくるのが氏姓制度ですね。

信長や家康の正式名で調べると、色々出てきて、

文献によって順番が違ったりするので尚更ややこしい。

 

名字、通称、氏、姓、諱の順に並べると、信長、家康は

織田 三郎 平 朝臣 信長(おだ、さぶろう たいらの あそん のぶなが)

徳川 次郎三郎 源 朝臣 家康

(とくがわ じろうさぶろう みなもとの あそん いえやす)とこんな感じになります。

 

さらに更に、通称は途中で変わるので、ますますややこしい。

信長の主な通称は、三郎、上総守、上総介等、

三郎の処が上総守とか上総介に変わる感じですな。

そこで、豊臣秀吉を……正式に表記すると

羽柴 藤吉郎 豊臣 朝臣 秀吉

(はしば とうきちろう とよとみの あそん ひでよし)が正しいのかな?

藤吉郎のところ、後年は筑前守(ちくぜんのかみ)に変わってます。

 

豊臣は苗字ではなく氏なので、現行の姓名で書くと、

生涯、羽柴秀吉だったことになります。成程!

 

次回に続きます。