ここ5年間程で出来る限り自分を客観視してて確かめられたことがあります。5年間もあれば大きな環境変化も当然ある訳で、特に自分の中では人間関係がその最たるものでした。そういった中で、自分は良くも悪くも他人の影響を受けすぎていることを再認識しました。


簡潔に説明すると、楽観的な人間と付き合えば楽観的な人格が元来の自分の人格と半分程共存し、時を別にして悲観的な人間と付き合えばその悲観的な人格が半分程を占めることになると言った具合に、ダブルフレーバーのドーナツのような性質を自分は特に持っているということです。(元来の人格は常に半分を占め、据え置きです。)


ある特定の期間に最も付き合いが濃い人の性質を半分程受け継いでしまう、これが少しだけ自分の人格について分かってきたことです。この性質を利用すれば、付き合う人が変わるのに伴って変化する己の人格の数々を比較していき、その共通項を見つけることが出来れば、自分の元来の人格はどういったものなのかを炙り出すことが出来ると考えています。


今自分が最も深く付き合っている人はとても悲観的で、心を開いていない他人に対して懐疑的で、排他的な人間です。1年ほどその人と関わっているうちに、その人の人格のコピーのようなものが自分の中に全体の半分程構築されていることに気づきました。そのためか以前に表面上は仲良くしていた(自分が半分程楽観的な人格だった時に仲良くしていた)楽観的な友人達からも自然に心が離れていくのを感じました。


こうした中で、現在進行形で変化する自分自身の人格のサンプルを集められて、今後に対してとてもわくわくしています。サンプルさえ出揃ってくれば、いずれは元来の自分の人格を炙り出すことができて、ゆくゆくは自分に対する人間観察の大きな進展が見られると期待しています。





しかしながら怖いのは、人間の人格は言葉で言い表せる程単純明快ではないという説です。せっかく自分の人格について分かりかけてきたものが、崩れるとすればこの説によるものだと考えます。ですから全てを分かっている様な傲慢な姿勢で研究してはならないのです。自分にはこんな一面もあるねと小さな発見を拾っては、これは少なくとも確からしいと書き留めておく姿勢が最も望ましいと思います。全ての仮説が崩されないためには。