『旅空香高堂~地中海の縁を巡る』7月23日

8年近くの海外生活を終え、日本に帰国したのは2020年3月21日、その後引越し荷物の未着や自宅のリフォームもあり、落ち着かぬ日々を過ごした。コロナ禍での世相観察、ウクライナ侵略の分析観察に囚われ、海外滞在記の執筆は進まぬままだった。

己の怠惰故であるが、2022年5月やっと世相世情から離れ、家族を思うたった一人の若者の銃弾で、宗教影響下の「アベノヨノナカ」が崩れ始めている。7月23日、71回目の誕生日を迎えた。海外資料の整理は膨大で悪戦苦闘しているが、やっと執筆に取り掛かる気が出てきた。

 

8年間の海外生活の中で、いつの間にか「地中海の縁を回ってきた」と思うようになっていた。アドリア海と地中海はイタリア半島を挟み方円の北縁を描く。さらにジブラルタル海峡を越えると南の縁、北アフリカ沿岸、エジプトからトルコ、ギリシャまで辿り着く。この「南縁を回る」のは幾つになってからだろうか。予測の付かない人生、世の中になっている。

 

2013年からバルカン半島にあるサラエボに在住し、何度かアドリア海沿岸に旅をした。アドリア海の東側は<クロアチアのドブログニク、スピリト、リエカ><プドヴァからボスニアのネウム><モンテネグロのコトル>まで旅をした。北に向かうとクロアチアの首都<ザグレブ>に入り、<スロヴェニア国境>を越えて<イタリアのトリエステ>に辿り着く。さらに<ベネチア、ボローニャ、フィレンツェ>等イタリア半島を横切り、<ピサ、ジェノバ>まで足を延ばした。

 

マルセイユ在住時には地中海を望みながら<マントン、ニース、カンヌ、トゥーロン、エクサンプロヴァンス>を何度も往復した。さらに西に向かい<カマルグ、モンペリエ、ペルピニャン>、スペイン国境を越えて<バルセロナ>まで達した。<アルル、アビニョン>から<ミディピレネー>、<スペインバスク、バイヨンヌ、ボルドー>まで大西洋岸を覗いてきた。

 

スペインの<セビリア>にはは1992年に万博で行っていた。2003年以降はセネガルの<ダカール>に3か月滞在し、大西洋に浮かぶ<カナリア諸島>行きは忘れられない。そしてモーリタニアの<ヌアクショット>からサハラ砂漠の世界遺産<ウアダン、シンゲッティ>まで赴いたが、地中海を眺めることは無く、砂漠の風に当たっていた。

 

旅は人生のアート表現であり、異ジャンルや異文化との「融合」の側面を持つ。人間はその土地に根を張って暮らすが、時に旅は精神の滋養になる。旅から帰った人はその異なる空気をまとい、気が付かぬ間にゆっくりと周りに発散されている。旅から戻り、己の行き着く先の道標が見えたら僥倖であるが、それへの遠近は見極め難い。そんな思いを抱きながら、「旅空香高堂~地中海の縁」を書き連ねていきたいと思うが、動き出しのテンポは遅くなっているのは確かだ。フランスでの誕生日はロゼワインとプレートが定番だった。