寒さ厳しき今年春、あるところの紹介があり、松たか子と阿部サダヲが主演し、『ゆれる』『ディア・ドクター』の西川美和が監督を務める『夢売るふたり』のゼロ号試写を見た。夫婦が結婚詐欺を働くが、騙しても精神的にも金銭的にも満たされることのない夫婦の心象を描く。西川美和監督は下町風景を通して、ある種の“男と女の真実”を描き出そうとしていた。田中麗奈、鈴木砂羽が、木村多江伊勢谷友介、香川照之、笑福亭鶴瓶らが出演しているが、夫を操り、女を探し出してくる妻役の松たかこが、心の葛藤を淡々と演じている。心理描写の圧巻は松たかこの「オナニーシーン」と「トイレでの出血シーン」であろう。この赤が心理的な象徴カラ―となり、しなやかでしたたかな女の強さとなっている。松たかこの「赤いマフラー」が象徴的に使われている。
「赤は女の決意、男は群青色に染まる」とは誰の言葉だったか思い出さないが、多分私の想いである。1981年に公開された薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」にも赤が象徴的に使われている。父を事故で亡くし天涯孤独になった女子高生の星泉が、遠い血縁に当たる弱小暴力団「目高組」の四代目を継ぐことになり、4人の子分と共に対立するヤクザと戦うというストーリーだが、この荒唐無稽な原作を相米慎二監督が荒削りなタッチで演出している。セーラー服を着た薬師丸ひろ子が「赤いハイヒール」を履いて機関銃を撃つのは、まさに「少女が大人へと変わっていく様」を描いたもので、生理の血の色である。
一方、1901年初頭、パリに同行した親友カサジェマスが、悲恋が原因で自殺した悲しみによって、ピカソの「青の時代」は始まる。憔悴した画家の表情や、喜びを失った眼差しが、悲哀の色「青」によって強調される。2012年夏、オランダ・マウリッツハイス美術館のコレクション「オランダ・フランドル絵画の至宝」東京都美術館で開催されている。その青を描いたフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は青のターバンが巻かれている
また、「緋牡丹博徒お竜参上」は加藤泰監督による緋牡丹博徒シリーズ名作中の名作である。日本映画史上、稀に見る美しさの名場面”雪の今戸橋“がある。叙情に満ちた静寂の中、真夜中の濃紺の空から群青色に染まり、夜明けの青が顔を出す時、ひとつの蜜柑が橋の上転がっていく。藤純子と菅原文太の、言葉では発することのできない「空気」で感じるラブシーンは魅了される。極端なまでのローアングルとクローズアップを特徴とする独自な映像スタイルは、加藤泰映画の代名詞として知られている。ローアングルについてはアスファルト舗装されている公道を掘り返してカメラを据え、電線が写った際には「電線を切れ」と言ったという凝り性があった。また、走る列車をその下からとらえた映像は伝説化しているらしい。
ここ1年、いや数年か、「物事に感動する」ことが少なくなった。講座、セミナー、ライブ、映画、何も興味が持てない。何かが足りない、足りないのか、欲しくて、欲しくてしようがないが、探しているが見つからない。共鳴する聞く耳がない。人間とはチャンスに「聞く耳」を持つことが大事であろう。どちらも「お互い様」である。聞く耳は己自身の心の在り方にある。タイミングが合えば聞く耳は共鳴する。昔話を懐かしむことだけはしたくない。