以前に「マスゴミと呼ばれないために」とのタイトルでいくつか書いたが、民主党代表選、いや小沢さんが出てきたため、ますます新聞、テレビ、評論家、コメンテーターの醜悪な言葉、表現が目立つようになってきた。タイミング良く光文社から、内田樹著の「街場」シリーズ第4弾「街場のメディア論」が出ている。
★内田樹(うちだ たつる)
神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。2009年度より本学入試部長。専門はフランス現代思想だが、教育論から身体論、映画論まで幅広い。また、武道家でもあり大学の合気道部と杖道会で実技の指導を行っている。「街場の教育論」ほか、教育についての提言も多数。
この本は女子大での講義録を編集したもので、平易な言葉づかいと分かりやすい表現でメディアの本質を突いている。是非にお買い求めて読んでいただきたい。今何故、メディアが醜悪になり、「売れればよい」「儲かれらなければ」と儲け主義に走っているのか、良く分かるかと思う。「メディアは世論、メディアはビジネス」が本質であり、それを見究めないで、偉そうに語る人々、書く人々を糾弾でなく、皮肉たっぷりに揶揄している。以下抜粋である。
■おそらく後数年のうちに、新聞やテレビという既成のメディアは深刻な危機に遭遇するでしょう。この危機的状況を生き延びることのできる人と、できない人の間にいま境界線が引かれつつあります。コミュニケーションの本質について理解しているかどうかが分岐点になると僕は思っています。
■僕は自分の書くものを、沈黙交易の場に「ほい」と置かれた「なんだかよくわからないもの」に類すると思っています。誰も来なければ、そのまま砕け散ったり、どこかに吹き飛ばされてしまう。でも、誰かが気づいて「こりゃ、なんだろう」と不思議に思って手にとってくれたら、そこからコミュニケーションが始まるチャンスがある。
■まずはメディアの価値をどう考量するのかについて基準としてあげられているのは、「よく考えると、どうでもいいこと」と「場合によっては、人の命や共同体の運命に関わること」である。メディアの不調は前者に比重が偏り過ぎたことにある。メディアが「定型文でしか報道」を行わなくなったからです。世論、つまり市民の意見の反映こそがメディアの使命だとして、型どおりのことしか報道しなくなってしまう。「マスメディアの嘘と演技」が蔓延している。
■そうすると何が起こるのか。型にはめたような文章だけが氾濫し、「これを書いたのは私です」と責任をとるものが居なくなる。僕たちの身の回りに溢れかえっているメディア、出版、テレビ、新聞、などなどは、私たちの行動、思考様式と密接に関係しています。メディアの不調はつまり「私たちの知性の不調」でもあるのです。
■マスメディアの凋落の最大の原因は、インターネットよりもむしろマスメディア自身の、マスメディアにかかわっている人たちの、端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるんじゃないかと思っています。ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。それが新聞とテレビを中心として組織化されていたマスメディアの構造そのものを瓦解させつつある。
一方、雑誌「BRUTUS」の2/15号の特集は、2010年、吉本隆明が「人はなぜ?」を語るである。まだ鳩山政権の頃である。
★僕が思うに、鳩山由紀夫という人が、今やろうとしていることを「そんなうまくいくか」とか言わないで、ゆっくりと静かな革命をしようとしている、と正直に捉えてあげてもいいんじゃないか、とおもいますよ。それだけの能力はあると思いますし、一見、革命と見えないような形でそれをやろうとしている。やり方がまずい以外には失策はないと思います。それに、とてもいい時期だと思いますから、やればいいのに、と思いますけどね。あんなに善良で気が強くない人が、そういう風にがんばれるのかな、と。
★何で、僕がそんな思い方をするかと言ったら、同人雑誌と同じなのです。欲張らないことなのです。この状況になったのは現在の日本の中で「どこが一番肝要なのか」という答えを、民主党が持っていたからじゃないでしょうか。民主党に潜在しているものや、活用できるものを活かせなければ、他のどこの党にも出来ないでしょう。僕はその程度には民主党を信用しているんですよ。
吉本隆明はかなり前から小沢一郎を評価していた。古くなるが、例えば、『わが「転向」(文藝春秋)1995年』で次のように述べている。ファシストを「悪党=政治とカネ」に言い換えれば、何も変わっていないことが分かるであろう。
★日本共産党の「小沢一郎=ファシスト」宣伝に対して、「僕は彼(小沢一郎)の『日本改造計画』というのをきっちり読んだつもりですが、ファシズムを思わせる部分はどこにもない。それどころか彼の意見は常識に富み、妥当な見解があの中にあると思います。」
★「小沢一郎はテレビなど見ていると率直に本音を言う人でしょう。「政治を清潔にと言ったって、政治には金がかかるんですよ」とちゃんと言う。聞いていて何となく響いてくると言うか、人間的な響きがある発言をする人で、僕は好感を持つのですが、こうした「率直な物言い」がいやな人が、ファシズムだと言いだしたのかもしれません。
★むしろ「小沢はファシズムだ」と幟(のぼり)を立てれば、周囲もすぐに同じことを言い出す状況の方が、はるかにファシズムになる可能性が高いのでないでしょうか。ここ、十年、十五年までの間に限って言えば、小沢一郎の意見に異論はないですね。現状のように「体制-反体制」の対立や左翼性が消滅した時代が続き、その都度の「イエス・ノー」が時代を動かすことになるのじゃないでしょうか。
また、集英社文庫から出ている「小沢主義」でも言っている事の本質は変わっていない。吉本が予言したようにまさに15年後が現在である。それにしても日本の政治家、マスコミ、国民は昔から何も変わっていない。