庭の舟、そこに吹き渡るのは風であろうか。春から初夏への移り変わり、今日は梅雨の晴れ間であろうか。花に降り注ぐ春の雨を「紅雨=こうう」」と言い、紅の花が散るさまを雨にたとえている。春には香りが良い、すばらしいという意味を持つ「芳雲=ほううん」がたなびき、「和風」がのどかに吹く。晩春から初夏にかけて吹く南風は「景風=けいふう」と呼ばれるが、どんよりとした梅雨時の空は「五月雲」である。季節の変わり目をやっと意識できるようになってきた。
「夏越祓(なごしのはらえ)」という行事がある。「夏越祓」は「水無月の祓い」とも呼ばれ、1年のちょうど折り返しにあたる6月30日に、この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事である。もうすぐ夏越である。今年は恒例のバーゲンの季節が早まり、6月下旬から始まるようである。ここ十数年、スーツを買うなら、定番でシンプルながらも良いスーツをバーゲンで買うようにしてきた。
さて、今年もと思ったが、はて、私はいつまでスーツ姿でいるのであろうかと考えた。転職も退職も皆目検討がつかない状況である。風合いの良いスーツと言えば、若い女性の会話をいつも思い出す。「このセーター可愛くない? かぜあいが見た目に柔らかいし。 それって、かぜあいでなく、かざあいでしょ?」。風合いを「風逢い」と書いたら、かざあいは色気を帯びてくる。
人がものに触れたときに感じる材質感や感触を古くから「風合い」と呼び、品質を判断するときの一つの価値基準になっている。風合いは、感覚が左右される点は味覚と同じであるが、基本的に一つの感覚で判断出来ない。手触りによる刺激を脳に伝えて、感覚(触覚)を引き出す。すなわち手触りにより、形態や物性という刺激に対して、風合いという心理現象が引き起こされるらしい。
ところが、手で触るという動作は単純ではなく、撫でる、掴む、握る、摘む、引っ張る、押し付ける、挟む、等のいろんな動作が含まれ、手といっても指先もあり掌もある。硬さや柔らかさだけでなく、なめらかさ、のびやすさ、暖かみ、戻り易さ、跳ね返り性、強さ、などのいくつかの性質を一度に感じて、総合的感覚として風合いを認識しているようである。
しかし、手の感覚はあくまでも主観的な評価のため、長年の経験を積んだ職人や専門家には判別できても、一般の方ではどちらが良いか判断できないが、この主観的な感覚を、だれもが共有できる客観的な数値というデータに置き換える計測の技術があると言う。人が風合いを見分けるときに行う「なでる」「引張る」「折り曲げる」「指で押す」といった動作と感覚を、精密な測定装置に再現できるらしい。日本人の匠の技であろうか。
絹織物の風合いは、
(1)柔らかくて腰がある
絹繊維は天然繊維のうちで細く、最も長い繊維である。そのため柔らかな織物でも薄い織物でも自由につくることができる。絹繊維は極めて弾力のある繊維で、小さな変形に対して大きな抵抗を示すため、柔らかさの中に腰、張りのある織物をつくりだしている。絹のきものが着崩れしないこと、ネクタイや帯の締め具合が良いことなどはこれらの特性による。
(2)ドレープが美しい
ドレープとは、主として織物の曲げ剛さと、織物自体の重さによってつくられる垂れ下がり具合の美しさである。絹織物が多様なドレープ性を示すのは、絹繊維の細さ、弾性などをうまく織物に活かしているためである。
(3)軽やかで暖かい
絹を着た人は異口同音に「軽くて」「暖かい」という。絹繊維は、天然の絹繊維の集合であり、単調な科学繊維の織物ではできない気室がたくさんあり、含気量が大きいので熱を伝えにくい。これに絹織物の柔らかさが体へのなじみやすさもあって、軽やかで、薄くても暖かな製品をつくり出している。
一方、木綿は水をくぐらせ、空気に触れるほど良くなる特性のある素材で、繊維の王様である絹とでも対抗出来ると言われる。土から生まれた木綿、粗なれども、強さと優しさを持ち合わせた木綿は、人々の生活をささえていた。その包み込むような「風合い」はやはり、手に触れ、なぜて、指先で、その味を確かめるものらしい。
官能的な織物の品質評価であるが、女性の肌も絹か木綿か、肌に触って確かめてみたいものである。その女性が庭の舟に乗って、素敵な涙を流したら、
<は>=はっとした、出会った時に、その眼差しの深さに
<ひ>=ひぇぃと驚いた、話をして、その感性の鋭さに
<ふ>=ふふっ、思わずこぼれる笑みに、品性が覗き
<へ>=へぇ、なるほどと、その知性に感心して
<ほ>=ほっとする、安心感があなたの人間性。
などと戯言を漏らすかもしれない。
「window catch bottan」という言葉がある。差し詰め「風を捉えるボタン」の意味合いとなるのか。風合いを捕らえるのか、風逢いを逃がすのか、爽やかな「風の通り道」に立っていたいものである。