1972年の琉球独立ならぬ沖縄復帰以来、何度もその地を往復してきた。仕事もあり、リゾートもあり、ダイビングやゴルフもある。1972年、復帰直後に初めて訪れたのは神戸から船に乗って24時間かかり、数ヶ月滞在後、帰りは那覇から晴海まで36時間の旅であった。コザや1号線、ブルーシール、久高島等懐かしい思いが蘇る。

当時、今の全日空ホテルのビーチ辺りで野宿をしていたら、見知らぬ地元住民からバーベキューパーティに誘ってもらい、有り難くいただいた記憶が鮮明となってくる。あれが「私の琉球」の原点になっていると思う。それから、沖縄本島、久米島、石垣島、小浜島、いつかは、この島々のどこかに暮らしたいと思っているが、台風を始め、その自然の過酷さと住民との融合を考えると常に二の足を踏んできた。

しかし、今「沖縄病」という言葉があるらしい。ある解説によると、

『まるで取り憑かれたかのように、沖縄に魅了された人の様子を指して使われる言葉で、都会に住む人に多く見られる傾向で、実在する病気ではない。ロハス信仰から来る田舎に対する憧れと、亜熱帯の気候がもたらす高揚感によってかかってしまうのではないかと思われる。沖縄病をこじらせた結果、沖縄に移住してしまう人は年間2万人にも及ぶと言われている。』  

 そうして移住した人々の定着率がどの程度なのか、知ってみたいと思う。ロハス信仰か田舎志向なのか、定年後の移住先なのか、そんなに簡単ではないはずである。そう、あの国は“琉球”であり、あこがれの“沖縄”ではないことは確かである。未だヤマトンチューとウチナンチューは生きている。覚悟を決めるのは大変なことである。ところで、2005年は沖縄をテーマにした4つの小説に出会った。我を忘れて貪るように読み耽った。それぞれ独自の琉球観を持って描かれ、個性が光っていた。

池永陽「でいごの花の下に」=集英社

奥田英朗「サウスバンド」=角川書店

ヒキタクニオ「遠くて浅い海」=文藝春秋

よしもとばなな「なんくるない」=新潮社。

 そしてある友人からは、こんな返事が来た。

『沖縄での休暇は如何でした?沖縄4部作を読みました。結論から言うと<サウスバウンド>が面白かった。現実に西表島には大規模ホテルが2004年に完成している。自然体系の破壊、聖地の尊重を訴えて元活動家とか住民たちが差し止め訴訟を起こしていた。きっとその辺にベースがあったのかも。ヒキタクニオは、ストーリーテラーだと思うけれど<遠くて浅い海>はどうも無理があって馴染めない。<でいごの花の下で>はそこそこ。よしもとの<なんくるない>は心理を緻密に展開していく作風で佳。この4部作のおかげで私の深い部分で沖縄が定着したように思う。次回訪れるときは暑い時、海と対峙したいと。』

と書いてあった。

 2008年は小説から一転して、ドキュメンタリー関係の本を読むことが多くなった

【「十九の春」を探して=川井龍介】

沖縄戦の鎮魂歌となり、田端義夫が歌って大ヒットし、米兵に抱かれた娼婦たちが口ずさんだあのメロディーに秘められた願いを探る。

伝説の女傑 照屋敏子=高木凛

14回小学館ノンフィクション大賞受賞作で、戦後沖縄の自立のために多くの事業を起こし、大宅壮一に「沖縄に男あり」と言わしめた「女傑」と呼ぶべき沖縄女性の波瀾の生涯を描く

【沖縄独立を夢見たナツコ 沖縄密貿易の女=奥野修司

戦後の1946~1951年、「ケーキ(景気)時代」と呼ばれる沖縄密貿易時代に、混乱、騒擾、欺瞞、陰謀に明け暮れながら、類まれな才覚と器量で颯爽と生きた女親分「ナツコ」を生き生きと蘇らせた評伝ノンフィクション。

ところで、一時期北海道のニセコにオーストラリア人が押し寄せている話があったが、沖縄本島や八重山諸島では台湾人観光客が急増しているという。2007年度の外国人観光客のうち、台湾からの旅行者は約半数の15万人にものぼると言われている。このブームには沖縄と台湾の近さも関係があり、「沖縄は人が優しいし、島が美しいので大好き。海もすごくきれい。また来たい」と、満足度も高いらしい。

南西諸島から台湾は薩摩、日本より近い。戦争中戦後の沖縄、琉球に寄せる熱い思いを駆り立ててくれる。

アマルガムの自然誌=池澤夏樹

【沖縄の時間=カベルナリア吉田他】

などもある。

一方、小説では1988年頃の村上龍の「愛と幻想のファシズム」を髣髴させるような【弥勒世・上下=馳星周】15世紀から1980年代に至る南の島の時間と神話を大股に歩く寓話的年代記の【ガジュマルの家=大島 孝雄】19世紀末の琉球王朝を舞台にした物語で、破天荒な一人二役劇を演じ、時代の変わり目を嵐となって生き抜いた王宮人の苛烈な物語の【テンペスト 上下=池上 永一

 まだまだ、琉球=沖縄は逞しく生きている。