自殺した人が羨ましいと言ったら、多くの人は目を吊り上げて不謹慎だという。それでも私は自殺した人が羨ましい。私は家族の恥である。それはもう嫌というほど自覚しており、家族もそれを口に出さないだけで、やはりそういう思いは臆病な人間であれば肌で感じ取ってしまうものだ。だから家族とは一定の距離を置いて生活している。そんな私の人生の答えは、恐らく自殺だろう。この社会で嫌というほど地べたを這いつくばって逃げ回ってきた私らしい答え。命からの逃避。そんな逃避を私はいつも憧憬の思いを込めて想像している。そして想像して終る。そこにあるのは家族に対する思いだ。一族の恥であるゴミクズニートは生きている限り家族に辱めを与えるわけだが、しかし何かなければ周囲の人もそこに触れたりはしない。触れたりしなければまあ、家族が味わう恥辱も幾分か軽減されるだろう。ところがここで私が自殺したとなれば、また周囲でも色々と言われるだろう。なにせ三十路ニートが年老いた両親を置いて自殺したのだ。噂好きの格好の的になるのは目に見えている。家族葬でさっさと焼いて墓に突っ込んであとは法要・法事もせずにほったらかしにしてくれればいいのだが、残念なことに家族の性格を考えるとその辺はきっちりやる。そうすると法事・法要のたびに家族は恥辱に塗れるのだ。ただでさえ息子が一人前になるという夢を打ち砕いた私が。ただでさえ孫という夢を打ち砕いた顔面クレーターの私が。ただでさえ母の日も父の日も誕生日も還暦の祝も何もしてやれないゴミの私が。家族に恩を仇で返すような真似をするのかと思うと、どうしても踏み切れない。周囲に迷惑をかけない死に方などない。そう誰かが言った。しかし迷惑の度合いには程度があるのだ。私が病気で死ねば?交通事故で死ねば?通り魔の犯人を取り押さえようとして刺されて死ねば?それらと比べてニートこじらせて自殺した場合の周囲の視線は?ぐるぐると回って答えはでない。それとも両親はそんな恥辱を味わっても私に死んで欲しいと思っているのだろうか・・・・そうして思考はぐるぐる回り、結局「自殺できた人」への憧憬へと行き着くのである。お薬とお酒を大量に飲んでしまえば、あるいは飛べるのだろうか。そうだったらいいな。ニート日記 ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
クズ男の底辺生活
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