みなさま、こんばんは。

 

 

いろいろあって、更新が3年以上空いてしまいました。

(ベタうちのため、誤字脱字はご容赦ください。前後の文章からご推察ください)

 

思うところは特にあったわけではないのですが、一時期に比べ、ブログに対する熱量が以前に比べかなり落ちてしまったのと、新しい校務分掌と出会い、劇的に仕事内容が変わってしまったことにより、ブログに使える時間が減ってしまいました。

 

私の心の中にある自分なりの解答が、正しいのかどうなのか問われる場面が何度もあり悩んでいます。

 

学校の先生は「ブラック」なのか・・・

 

はっきり言って、ブラックです。

 

が、全てがブラックというわけではありません。それは、どの職業であっても、見方や考え方によって変わるからです。

 

働き方改革の名のもとに、「生きづらさ」を抱えてる先生方と、「生きがい」を奪われてしまった先生が、楽になった先生方、様々居ると私は思っています。

 

話が長くなりましたが、自分なりの生き方、楽しく生きようとしたとき、それが、自分が生きている環境に適しているかどうかで、その人が感じる「楽しさ」が変わってきます。

 

簡単な例で考えると、「田舎」が良いか「都会」が良いか、って比べること自体が無意味ですよね。

 

一番、私が迷うのが、「本当はこう生きたい」という思いがあるのに、自分の努力ではどうしてもそういう生き方ができない、自分のせいではないのに、自分の生き方ができない環境にいる場合、でも、それを受け入れ、その中で何とか楽しく生きようと努力し、自分の生き方を見つけていくことは、その人の本当の人生と言って良いのだろうか、ということです。

 

そういう生き方、迷いや後悔がある生き方、でも、それすらも人生かと思えば、それが人生。

 

人生に正解はないし、教員に正解はない。仕事に正解はあるのか? お金がたくさん稼げて、自由に生活できる人生が正解とするならば、そんな人生を送れている人は、この世の中に何人ぐらいて、でも、生まれてすぐ亡くなってしまう子ども、それ以前に生まれないでしまう命もあるわけで、その人たちが不幸か、と問われればそれも違う。

 

ただ不条理に、踏みにじって良い命も、人生も、1つとしてないことだけは確かだ。

 

 

最近、人権教育、同和教育にどっぷりと浸かっていたため、人権を大切にする学習、差別をなくすための学習は、学校で生きづらさを抱えている子どもたちの声なき声を拾うことが大切だし、誰もが安心して生活できる学校というのは、人権を尊重している人たちで構成されている学校であると思います。

 

なぜ、差別やいじめがなくならないのか、それが人間の本質だというのであれば、誰もが被害者になりえるわけだし、誰もが加害者になりえます。

 

まずは、そう思うことですね。

 

さて、今年ももう少しで終わり。だが、今年度はもう3カ月あり、この3カ月は別な意味でも忙しい。

 

でも、ちょっと、自分なりに大きい山を越えたので、久しぶりにブログと、技術教育に力を入れようと思っています。

 

前置きがテーゼとアンチテーゼみたいな感じではじまり、混沌としてしまいましたが、次年度に向けて技術で扱う教材、学ぶべき内容(1,2年生1年間で35時間って、教科書全部やれませんよ!、3年生17.5時間、何するんすか!)、アンチテーゼとして「学ぶ必要より、体験・経験、実習・作業でしょ!」をテーマに、そして、全員がプログラマーになるわけないじゃないですか! をテーマにプログラミングの内容、今考えていること、実践していることをちょっとずつまとめようと思います。

 

ほんのひとときの「今」を切り取ります。

 

あ、これは自分の事ですかが。

 

クリスマスじゃん・・・