No.0033


こんにちは〜😄✨

青森郷土歴史愛好家こーちんです!!

前回に引き続き、青森歴史部による「青森市の旅」常福院(横内城址 )です✨
 

 

 

 

 

 

いつも感覚的に行動し歴史を感じる旅をしてきた青森歴史部ですが、今回は何と住職からお話を頂きました!!

 

ありがとうございます🌈✨

 

 

 


 
前回は「堤弾正と横内城址」についてでしたが、今回は常福院の歴史について触れていきますね。
 
 
お寺の開基は推古天皇御宇13年(605年)今から約1400年前、今の八甲田山にある東岳(あずまだけ)山頂に布教場を開いたのが始まりとの事😱
 
古っ‼️
 

 
また康平五年(1062年)には「前九年の役」に敗れた「安部宗任・貞任兄弟」が、当時住職であった叔父の良照上人を頼り、落ちのびた事が鎌倉幕府の耳に入り、寺を焼かれたと記録に残っているそうです✨
 
これは青森歴史部が大好きな「日髙見国」の匂いがしてきましたね😍
 
 
 
さらにその後も、源義経主従をかくまったとして再度焼き討ちに遭ったという伝説も残されております✨
 
確かに、この前行った「貴船神社(野内)」を色々調べた時に、義経の女房?「旭の前」を貴船神社で火葬して、「常福院」へ埋葬したと何かに書いてあったなぁ😅
 
 
 

龍神庭もありますし、瀬織津姫さまにもご縁がある気がします☺️✨
 
古くから、東日本の地を守ってくれたご先祖さま達が沢山関わりのあるお寺が青森市にあったなんて驚きです‼️
 
 

 

そしてこちらも漏れる事なく「菅江真澄」さんの句碑✨

 
 
古寺に 匂ふあさ田の 山桜
折りて手酬の 花のえならぬ

 

 
 
江戸時代にホント細かく青森を廻られておりますね❗️
 
 
 
 
では何故「横内城址」へ「常福院」が移されたのか???
 
 
このあたりが「南部氏」と「大浦氏(津軽氏)」との関係が深く関わってきます✨
 
 
今回、こちらの内容を書こうと思っておりましたが、長くなってしまったので次回にしていきます😅
 
 

 
いつもご先祖さま、ありがとう!
今日も皆さん、ありがとう!!