これだけ1人のアーティストを集中して聴いたのは誰以来だろう。
小学ん時10,000円お年玉を全額LPレコードに使った。風格のある聖徳太子。歴代最高の1万円札だと思う。この世代には珍しくそこそこの貧乏育ちだった自分にとって、それはそれは大きな買い物だった。
当時、地元商店街で「黒船来襲」的な騒ぎになってたダイエーの4階にレコード店があった。慣れた手つきでLPを物色する大人達の姿に憧れ。
それをマネて究極のLP3枚を選び、ゲーセンでラリーXとクレイジークライマーをやって、当時入店に30分待ちだった向かいのミスドで50‘SをBGMにゴールデンチョコレートを頬張る。ダイナミックに10,000円を使い1日限定のオトナになった記憶がある。
「a~ha」と「ブライアンアダムス」と「ダイアーストレイツ」ジャケットを眺めてニヤニヤ。 レコードプレイヤーに45回転用アダプターを装着しないとかオレは相当な大人だ。「擦り切れるほど」というのはこういう事を言うんだろう。いまだこの3枚のアルバムは全曲歌える。
CD時代になってからはジャネットの「コントロール」とマイケルの「BAD」も取り憑かれたように聴いた。でもアーティストすべての作品を聴くことはない。あれだけ流行ったボンジョヴィも初期は聴く気にならないし、ビートルズですら完全制覇まではしてない。
ドアーズ、イエス、キングクリムゾンあたりは相当聴いたけど、やっぱ「レッドツェッペリン」か。Ⅰ・Ⅱの勢いと生々しいライブ感、Ⅲで既存ファンを潔く裏切ったアコギのトラディショナル回帰、それをうまく帰結させ教則にすらなったⅣ、聖なる館のそれをさらに超えようとする意思、フィジカルグラフィティとプレゼンス2枚でバンドの完成形をみたと思ったら、イン・スルー・ジ・アウトドアのシンセの音に「次」を感じさせて、とうとう消えた。一つに甘えない精神と潔さは自分の生き方の目標にもなっている。
それからというもの。そのルーツになった音楽は鮭のようにボロボロになって遡る習性になった。ペンタングルやフェアポートコンヴェンションなど感動的な音楽に出会う確率が高い。
ここで出会ったバードヤンシュの音は今思えばアコギを続けられた大きな要因になってる。「曲よりも人」を聴く習慣が身についた。
「山崎まさよし全曲コピー」を決めてからというものホントによく聴いた。自分にとってはスゴく聴きやすい。歳が近いため歌詞の目線が同じで、聴いてきた音楽がたくさん散りばめられ、琴線ならぬギター線によく触れる。
戦前ブルースは確かに感じる。「窮鼠猫を噛め」「長男」「Judgment Day 」などなどハネた感じが曲にも奏法にも気持ちよく溶け込んでる。
でもこの人の曲で好きなのは「あじさい」「江古田」「琥珀色の向かい風」「ベンジャミン」「僕らの煩悩」とかマイナーどころに多い。
ビートルズ、ニールヤング、ボブデュラン、ジェイムステイラーがほのかに香るフレーズにハッとしてついギターを握ってしまう。
生放送で上達を目指していたので、逆にレコーディングをした音源が少ない。放送中に間違って録音ボタン押したファイルが残ってた。
高音とファルセットとブルースハープとネイルアタックのギター。地味だけどメチャクチャ難しかった記憶が残ってる。