もしかしたら、人間は縛られたいのかもしれない。

 

マゾヒズム的な話ではない。人生の選択に際して、人はあらゆる制約から逃れようとしがちだけれど、本当は制約を欲しているのではないかという話。

 

人間には「幸福」よりも「選択が間違っていなかった」ことを求める深層心理があると何かの本で心理学者が言っていた。

 

それが本当だとすると、自分の大きな選択の妥当性、正当性を強調するために、確信するためには制約が多ければ多いほどいいのではないのか。

 

例えば、ランチの選択。500円以内、徒歩5分圏内、あったかいごはん、野菜も採れる、という条件があれば、自ずと選択肢は一つ二つに絞れるだろう。そして、あとで、「あのラーメンを食べておけばよかった」と思いそうになったとしても「500円以内で徒歩5圏内」には当てはまらなかったから仕方がない、となり、諦めがつく。

 

この例は、自分で設けた制約だが、他者から設定された制約であればなおさら都合がよいだろう。自分ではどうしようもない、と諦めがつきやすいから。

 

制約がたくさんある方が、「たられば」を考える必要がなくなり、自分の選択に後悔しなくなる。

 

そんな考えも、一理あるねと思い、此処に刻む。