1989年、初めて渡ったアメリカ。
その3年前の早すぎる父の死を引きずっていた私は、色々な想いを持ってアメリカに行った。
父の死が医療ミスであっただけに、若かった私は、信じられるものと信じられないものの区別できなくなりそうになっていた気がする。
忘れたいことを忘れるために、打ち込めるものを更に打ち込めるよう追求しに、アメリカに行ったように思う。
そんな時に訪れたアメリカ、特にミシシッピーやアーカンソーでの思い出。
日本人である自分に対しても、多少なりとも白人に意地悪を言われる中で、黒人たちの温かい歓迎と音楽を通じ人種を超えて楽しみ合った体験は、人生を変えたと言っても過言でない。
当時ブルーズ初心者だった私は、アメリカ南部に行かれるだけでも良いと思っていた。サザンロックに傾倒していたからだ。黒人のブルーズはB.B.KINGとマディ・ウォーターズくらいしか知らなかった私だが、B.B.には何か亡き父親に通じるものを感じ、求めていた。
アメリカでの体験でその気持ちは決定的になった。一緒に行った年長のブルーズ愛好家には呆れられたが、スーツケースの半分近くはB.B.KINGのレコードになった。
その年にB.B.は来日した。
なんとアルバート・キングと一緒に。
その時の映像が残っていた。
今はもうない「MZA有明」でのライブ。
ギターの音が小さくて、1曲目の演奏中にバックステージに戻ってしまったアルバートキングとは対照的に、お客を楽しませるために一所懸命なB.B.の姿が印象的だった。ますます好きになった。
そしてその後、1999年にブルーノート東京で再会。
演奏後、彼のアルバムとマジックを掲げると、急いでサインを書いてくれた。
感動と興奮の気持ちが蘇る。
これは宝物
多分B.B.を初めて聴いたのがこのアルバム。1曲目のMCを聴くだけでゾクゾクする。
当時のセットリストを作ってくれている人がいたんですね。感謝。
そんな思い出のB.B.が5月14日、89歳で亡くなった。
誰かが「B.B.は健全な生き方をしてきたから、他のブルーズマンと違い長生きしてるんだ」と言っていたが、私も同じことを感じていた。
世界中の人々を喜ばせてきたB.B.。
私もあなたのおかげで父の死から立ち直れた。
あなたの死は寂しいし悲しいことだが、それ以上に心から感謝である。
89年間、本当にお疲れ様でした。
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