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毎年、42日から47日は彼を思い出す。



木村拓也 享年 37



木村拓也を語る上で、外せない試合を1つ紹介させてください。


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200994日のヤクルト戦。


延長11回、ヤクルト鎌田祐哉のボールが加藤健の頭部に当たり、負傷退場。この時点で先発出場していた鶴岡はベンチに下がっていて、正捕手の阿部慎之助は一塁手として出場していたが、この時点で鶴岡同様交代していた。延長戦の規定は12回まで。巨人は11回にサヨナラ勝ちを収めなければ勝ち負け以前に試合そのものが続けられなくなる危機に陥った。

 

その中でセカンドを守っていた木村拓也に任せた。90年、日本ハムにドラフト外で入団した時には捕手だった木村に白羽の矢を立てたが、最後に捕手として公式戦に出場したのは広島時代の99年7月6日横浜12回戦。この時も緊急出動だった。

 

元は捕手といっても、常にプロの投手が投げるボールを捕球していなければ、そう簡単に捕れるものではない。しかし、全く捕手経験のないプレーヤーよりは任せられる。

 

「こういう時のためにオレはいるんだ。オレしかやれるヤツがいないんだからやるしかない」

 

自他とも認めるユーティリティープレーヤーは覚悟を決めた。鶴岡のミットを借り、用松淳ブルペン捕手のレガースとマスクを付けて定位置に座った。

 

まずは豊田清とバッテリーを組んだ。初球はいきなりフォーク。木村が出したサインだった。「実はベンチから西山さんからサインが出ることになっていたんですが、見る余裕なくて自分で出しちゃいました」と。二塁を守っている時から「自分のチームのピッチャーがどんな球をどういう時に投げているか頭に入っていた。その知識を総動員した」

 

豊田には5球のうち3球を決め球のフォークを投げさせ田中浩康を中飛に仕留め、続く青木宣親と対した左の藤田宗一には裏をかいてシュートから入り、2球目にカーブを要求。最後はスライダーで三振を奪った。

 

1安打1四球を許したが、この回3人目の野間口貴彦がユウイチを151キロのストレートで空振り三振に切って取り、急造捕手は無事大役を果たし終えた。

 

チェンジになった瞬間、真っ先に出迎えた原監督はガッチリ握手。肩を何度も叩き感激の面持ちで労をねぎらった。

 

「本当に困った時の拓也頼み。冗談も言えない。よく救ってくれた」と言った。

 

ピンチのときこそ最大限の力を発揮する木村拓也は何者も代わりのきかない最高の何でも屋だった


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痒い所に手が届く、スーパーユーティリティプレーヤー。ピッチャー以外はどこでも守れる選手。こんな選手はいまのプロ野球でも、ごく僅かしかいない。そして、こんな選手がいるチームは強いのだ。だからこそレギュラーではないし、タイトルホルダーでもない選手がここまで重宝される。


なかなか木村拓也さんのような選手になろうと思ってもなれない。器用貧乏で全て中途半端に終わる人もたくさんいる。



だから、やはりこの言葉なんだと思う。


一生懸命


木村拓也さんの墓石に刻まれている言葉。生き残るための道を必死に探して、スイッチヒッターになり、複数ポジションを守れる選手になり、ユーティリティプレーヤーと呼ばれるようになり……『困ったときの拓也頼み』になるんだよね。


今のジャイアンツには吉川大幾とかがその役割を果たしてくれようとしているし、野手陣はいい争いしてくれてるから心配はしてない。



ただ……ね。


去年のシーズン終わってからずーっと投手陣再建しないとって言ってたのにこのありさまよ


また、後で書かないとね。


それでは今回はこのへんで。


また、更新頑張っていきます!