松本城と松本市はかり資料館 | 京都のぎっちゃん 旅日記

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浅間温泉から松本城は坂を下りるとすぐ15分ほどで駐車場に着きました。
 
 
 
学生の頃 夏合宿は毎年信州。
帰りは松本から夜行列車に乗って大阪に帰っていました。
 
夕方は松本でお蕎麦を食べたりして
集合時間まで過ごしていましたが
松本城の敷地内に入ったことはなかったので
今回が初めてです。
 
 

 

国宝 松本城

天守の築造年代は文禄2~3(1593~4)年と考えられ、

五重六階の天守が現存している日本最古の城です。

 

 
 
 
 

お城の中に入るには入場券700円を払ってはいりますが

日曜日だったせいか この長蛇の列びっくり

気候のいい時だからよかったですが 軽く1時間は並びました。

 
 
 
 
お城の中では 滅茶苦茶 急な階段を登らなくてはならず
もう写真なんて撮っている余裕なんてなしアセアセ
 
 
 
 
 
なんとか上まで登り切って 見下ろした風景
 
ここは子供やお年寄りは登り切れないお城だわ。
 
こういうところを鎧兜をつけた武士たちが登ったり下りたりしていたのでしょうか?
 
 
 
松本城の前で自撮り棒で記念撮影
 
この頃は自撮り棒 よく使っていたなあ~
この頃 全然使ってないわニヤリ
 
 
 
 

蔵のある町「中町」にある「はかり資料館」にやってきました。

 

今回の旅は ここを訪ねるのが第一の目的です。

 

 

 

 

松本市はかり資料館の前身は明治35年(1902年)に度量衡専門店として創業し、

蚕糸業が盛んであった長野県中南信地方を基盤に昭和61年まで営業を続けた

竹内度量衡店です。

資料と建物を松本市が譲り受け、はかりの資料館として平成元年に開館しました。

 

 
 
昔のはかりの展示や資料など約1300点を収蔵されているようです。
 
 
 

昔の分銅

 

 

 

 

 

 

 これは江戸時代の両替商の絵です。

 

時代劇にもよく出てきますね。

 

朝ドラの「朝がきた」にも 主人公あさの嫁ぎ先が両替商でしたね。

 

銀貨は重さによって価値が異なる秤量貨幣だったため、

流通のつど重さを調べてから取引しました。

 

 

 

その時の分銅がこれです。

 

両替用の天秤と分銅は両替商を象徴する道具でした。

今でも 地図上で銀行を示すマークとして分銅の形が使われていますよね。

 

分銅は、「正確」「正直」「信頼」の象徴であり、

社章にこの形を使っている会社もあります。

 

塩野義製薬もこの分銅の形をシンボルマークに使っています。

 

 

 

ちなみに 私が毎日使っているお味噌

 会社の名前が「フンドーキン」 社章が分銅です。

 

別府に行った時のホテルで朝食のお味噌汁がとても美味しくて

中居さんにどこのお味噌か聞いて使い始めたんです。

いつもお取り寄せしていましたが 京都のスーパーでも売るようになりました。

 

 

 

 

 
 

はかり資料館の裏庭

 

「なまこ壁」が綺麗です。

 

 
 

この中町は明治21年(1888年)の大火によって町屋の大半を焼失してしまい、

その教訓から耐火性の高い土蔵造りの建物が相次いで建てられ、

白黒のなまこ壁が独特の雰囲気を醸し出す街が生まれました。

 

 

 
 
このあたりは 「蔵のある街」として 民芸や工芸の店が軒を連ねる新しい街づくりが
すすめられているようで 観光客もそこそこ通っていましたよ。
 
 
 
 
「あ! ここや!」と叫んで車を止めたパパびっくり
 
ここは 合宿の帰りの夜行電車に乗る前に みんなで行ったお風呂屋さんなんですって。
2階に広い休憩室があったようです。
今でもあるのかな?
 
 
40年以上も前のことなんですよ。
よく残っていましたね。
 
 
では 今夜のお宿 美ヶ原温泉 翔峰に向かいます。
 
紅葉 栗 紅葉
 
お付き合いいただきましてありがとうございます。