学校を出て2つの会社は8か月でやめた 1つ目は参考書の編集、自分の時間を切り売りしているようでなるべく職場と溶け合いたくなかった
帰りに一人 ジャズ喫茶などで好きでもないタバコを吸ったりして世の中をすねていた
自分の時間をどれだけ使うかが社会での勝負なのに勿論それも知らなかった
2軒目は新しくできた伊丹の空港だったため 正月、早朝勤務もあり体調を崩した
病院通いをして調べたが原因は解らなかった 後で空港の低周波公害だったとわかった
まだ若かったので医者に可哀想がられたが 何の治療もしなかった
家でぶらぶらして居たら「たて養いなどできない」と母に嫌味を言われ嫌々就職先を探した
その頃には少し元気になりお酒の雑誌社の編集員(社長が太ったエッチそうな人だった)やら お菓子のデザイナー(その頃は子供の時以来の辛口だった)とか今思えば面白そうな仕事をハローワークから紹介された その年の殊に暑い夏の終わり頃 新聞の求人に応募した
広告代理店の社長秘書の仕事、2日間ある面接日の2日目 50人くらい来ていた
決まるものはもう決まっているだろうと こちらからも面接してやろうぐらいの気でいた
応接室のソファーがふかふかすぎて座るとき足が上がった ミニが流行っている頃で
年齢も足の形も関係なく皆ミニを着ていた 帰り夕立にあい雨宿りし帰宅したら
採用のTELが来ていた 今でもミニスカートで受かったと思っている