パパが名前を呼ぶ声

嫌悪した

周囲の空気が止まっていたようだけどわかりたくなかった


行かなきゃいい


子供たちとパパだけが行けばいい


それは私の都合


我慢しきれないで悪態が漏れ出るぐらいなら行かない方が食卓の為


嫌いな訳ではない

ただそこに私がいる事で変わる空気が絶対的にあってそれを感じながら、空気が変わる原因を自分で探しながら自分のどこがまずいのか?を考えながら居座る事が出来ない。


これも私の都合



普通はそーだよな!

普通はそうだよ!


毎回の会話の中にある共通認識の答え合わせ。



うんざりする。

共感しないでいいし、答えなくてもいい、

スルーすればいい。


本人たちの意思決定後の確認なんぞ誰かに背中を押されても蹴られても各々でしか決定できないことなんだから


そうです。

世間話ができないのです。

なんとなくのふわふわした会話ができないのです。

だから、そんな気楽ななんともない時間が苦痛なのです。


気楽ななんともない時間

ただの談笑


わかっているのですが引っかかるのです。


微量で無意識な悪意や試されるような確認

そのようなことが渦巻いている気がして腹が立つのです。


きっとこれも私の都合


書き出すことで

決定打のないモヤモヤな事柄を自分都合で否定できれば少しはスッキリするんじゃないかと。


ただ、悪態ついたって結果気まずくなるだけでこの気持ちがスッキリするわけでも行事が執り行われなくなることもなく、果てしなく続いてくのです。


そして、これもきっと私の都合なだけ


私自身で消化できればまた違った話になる。

あー時間の無駄だな。