去年の6月のこと。
吐き気が続いて、病院に行っても何かわからない。セカンドオピニオンも意味なし。立っていられないほど辛くて寝込んで1週間くらいだっただろうか。母が妊娠検査薬を買ってきた。
私はその時何を思ってたのだろう。ただ吐き気と格闘していた。あの人がどんな風に言うか分かってたから、妊娠してる事実を認めたくなかったのかもしれない。
でも陽性だった。病院に行って確認したら、やっぱり妊娠していた。
ただ疲れていた。精神的も身体的にも。
先生に電話したら、「そっか」と言ってたのは覚えてるけど、そのあとどんな風に堕ろすことを言われたのか覚えていない。
「〇〇〇はどうしたいの?産みたい?」
残酷な質問 。私がどう答えたって、手術台に乗せられる運命は決まっている。
産みたいに決まっていた。
酷い悪阻で、毎日毎日食べたものや胃液を戻していた。とにかく吐き気が辛かったのを思い出す。母や祖母はあまり甘えるなと言いつつ世話をしてくれて、用意してくれた私の好物も食べる気になれず、でも作ってくれたからと思って食べては、すぐに戻してしまっていた。匂いでも気持ち悪くなってしまって、布団の匂いもだめだったので、枕元で母のたいてくれる涼しげなアロマの匂いが救いだった。
そんなのが2週間は続いた。
今この時もあの人は私の事なんて忘れて職場でいつも通り仕事しているんだろう。それでも悲しい感情も湧いてこなかった。中絶したら、きれいさっぱり縁を切ろうと思った。学校にいいつけてやる、とも思わなかった。
それでも涙は溢れてくるもので、何が悲しいって、自分のお腹の子が軽々しく死んでしまうこと、自分が無力なこと、自分も子供も蔑ろにされてしまうこと。ごめんねと思いながらよく泣いた。そんなときいつも職場で笑いながら仕事するあの人の顔が浮かんだ。
そんなとき先生がら電話がかかってきた。
「今度、子供に会いに行ってくるんだ、楽しみだな」
と、言ってた。その会いに行く日は私の手術の次の日で、私は胸が圧迫されて、それで涙が溢れてきそうだった。私の子供は、その日にはもういない。私の子も先生の子供なのに、どうしてその子はそんなに愛されて、この子は殺されなきゃいけないの?でも、声には出せなかった。自分でなんの方針も決められなかった。なんの意見も出てこなかった。ただ打ちひしがれて自分の子を結局守れなかったのだ。
先生は私への心配も配慮も全くなかった。いつも通りだった。これが普通だった。善悪と比較するのにも、疲れ果てて何にもできなかった。
暑くも寒くもない、その気候と空気の動かない感じは、今でも思い出すと心が締め付けられる。