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いろんなとこに答えは転がっているものだ。葬られた第二のマクガバン報告を読んでいてどうにも腑に落ちないとこがあって、それはおそらく訳の仕方か、原文ママなら文章の書かれ方にひっかかっているのだな、と思った。結論としてはプラントベースでホールフォードの食事を提案してるのだけど、そこに至る文脈の流れが読んでいてどうにもおもしろくない。決して悪いわけじゃないだけど。じゃあ、なんでおもしろくないのか、自分が本に対して求めてるものはなにと考えていたら、こんなとこにヒントは転がっていた。某先生から薦められた鍬と聴診器竹熊宜孝著1981のなかの文である。P117引用開始それに反し、大衆の見るところは、すべてを科学的分析によるのでなく、しばしば直感的で、対象を全体的にとらえる。リアル現実的であり、インテグレイテッド総括的である。私はその観点が何よりも重要であると思う。私どもの科学的方法のデータは、その中に組み入れられてこそ初めて意義をもつ。引用終了これは、農村医師、佐久総合病院の若月俊一氏が著者竹熊氏に宛てた手紙のなかの文である。若月氏のことは、南木佳士著信州に上医ありに詳しい。南木氏が佐久総合病院へ勤務した次第も興味深い。そうか、と膝を打った。気がついた。一日一気づきだ。科学的データのみを羅列して書かれたものよりも、フィールドワーク、入念な取材によって書かれたものの方が読んでいてスッと入ってくる。第二の~のよりも、以前M先生に薦められた日本の長寿村~のほうが自分にとってはリアルに感じる。というわけで、そういう趣旨で最近、読んだ本を。ふがいない僕は空を見た窪美澄これは小説なんですが。著者は妊娠出産を主なテーマとするフリーの編集ライターで、だからリアルに感じたのかもしれない。5編の連作もので、最初の1作目はエロ小説と思ってしまうけど、4作目のセイタカアワダチソウの空がなんともいい。同じような事件が、この田舎でも僕の身近にあったからか。日本の路地を旅する上原善広部落出身の著者によって書かれた、いわば本朝部落紀行。ドキュメントの映像を見ているような感覚がある。昭和の仕事澤宮優なくなりつつある昭和の仕事を取材した本だが、放浪詩人高木護の職の遍歴を追った前半が圧巻。高木護の詩は、フォークシンガー高田渡が歌にしている鍬と聴診器竹熊宜孝まさに、地に足の着いた臨床の本だった。橋本敬三先生の著書や、増永静人著治療百話など臨床から出た言葉がすべてだと思う。難しい世界を難しい言葉で描くのではなくって、難しい世界を簡単な言葉で、しかも身についた簡単な言葉で語ることがいちばんカッコいいと思うのだ。