☆鎌田龍児のマニアックな話18☆
サッカー少年鎌田龍児!
9月からまたワールドカップアジア予選が始まりますね☆
一応録画して観ます(笑)♪
今でこそサッカーをよく観る自分ですが、一時期サッカーが嫌な時がありました。
1993年Jリーグ開幕!
我が有功小学校でもブーム☆
みんな野球よりサッカーしてましたね。
そんな自分もサッカーに熱中してた時期でした♪
そんな小学校3年の冬、友達にサッカークラブに入ろうと誘われます。
もちろんOKして少年サッカークラブに入ります。
遊びではなく、本格的にサッカーを始める事になるのです。
しかしそれはツラい経験の始まりでした(>_<)
とにかく練習は真面目にやりました。ルールも少しずつわかってきて同級生のチームの中で試合に出場させてもらう機会も与えてもらいました。
親父も遠征の時は必ず送迎してくれました。そして応援してくれました。
試合でボールが顔面に直撃しても何もなかったかのように試合をしていた事、親父や監督に「お前は根性があるな!」
と誉められた事が凄く嬉しく、今でも覚えています♪(あんなに誉められたのは初めてだったと思います)
ただサッカークラブに行くのが嫌になってきます。
原因はちょっとしたイジメ。
合宿で一緒の部屋になるのを嫌がられたり、無視されたり、試合でも一度もパスをくれることなく終わったり。
FW(点を取るポジション)に入っても「お前のせいで俺が守備に回らないとあかんやないか!代われ!」とポジションを監督に指示されたのとは違うポジションに勝手に変えられたり。
決定的にツラかったのは遠征試合に行ったとき、FWのエースが休んだので代わりに自分がFWとして出場しました。
その試合で生まれて初めてのゴール、そしてハットトリック(1試合で3点ゴールを決めること)を達成しました。
凄く嬉しかったです!ただ仲間からこんな事を言われます「エースが居なかったからお前は点取れたんや」
実力として認められなかったのです。
その後の練習でちょっとミスしても「何しとんのや!ハットトリック取れたからって調子のんな!」とかいろいろ野次を言われるようになりました。
今でもハッキリ覚えています。
練習中気分が悪くなったので休んでいると「何サボってんのやコラ!」と言われる事も。
本当にツラくなったとき、おかんに言いました「お母さん、僕サッカー辞めたい」
するとおかんは「お父さんに言いなさい」と。そして親父にその事を言いました。親父は了承してくれました。
それからは近所の子とサッカーしたり野球したり。とにかく遊びでやる事の方が楽しかったです♪
毎日やってましたね(^-^*)
約1年のサッカー人生で、結局逃げ出した形でしたが、良いことも嫌な事も経験できました。
それからの人生に役に立ったと思います。
以上!鎌田龍児のマニアックな話18でした(^^)/