日本における、違法薬物についての教育は、「恐怖ベース」が中心です。ダメ、ゼッタイ。そう言われて日本の子供達は育っています。


私はそれを批判しているわけではありません。必要な事だと思っています。薬物を摂取したら身体に何が起きるのか。その後の人生にどう影響を及ぼすのか。日本では違法薬物の所持、使用は即逮捕に繋がりますから、それは一体正確にはどういうことなのか。


知る必要があります。


学校教育で、それを教える必要はあります。


ダメ、ゼッタイ。

それはそうなのです。


私が言いたいのは、ではもし使用してしまったらどうしたら良いのか、どういう支援が存在して、どこにヘルプを求めたら良いのか、という所まできちんと教育する必要があるという事です。


薬物やめますか、人間やめますか、と教育されてきた子供たちは、もし自分が使ってしまった時、自分はもう人間として終わりだと思うでしょう。そして、同じ教育を受けてきた周囲の人の多くも、あの人は人間終わりだと思ってしまう。


そんなのおかしくないですか。


だって、糖尿病やめますか、人間やめますか、て言わないでしょう。


依存性だって同じ「病気」なのに。

差別ではなく、治療が必要なのに。



日本政府による薬物教育のガイドラインを読みました。支援については一言も書かれてなかった。


「薬物依存から立ち直った芸能人の話などは、安易に薬物依存は克服できるという印象を与えてしまう可能性があるので、取り扱いに注意すべき」


と書いてありました。


支援について書かれてないのも、きっと同じ理由なのでしょう。


主旨はわかる。でも教育というのは常に、大多数の中に入らない人を考慮したり、配慮して行なうのが本当だと思う。


こんなに徹底的に薬物使用者への理解を除外した教育方針なんだ、とショックを受けました。


そして、薬物使用に至る過程には、トラウマや苦しみから逃れたいという切実な理由がある事がほとんどですが、そこに一切触れられいないのにも驚きました。


子供達にそれをきちんと教えた上で、もしあなたに抱えきれない苦しみがある場合は、これから先そういう状況におちいった場合は、薬物に頼るより先に、こういう相談できる場所があるよ、と具体的な支援先を教えることが必要だと思うのです。


そうすれば子供達は、もし薬物を使用したいと思う瞬間が訪れた時、この使いたい気持ちはもしかしたら心の苦しみから来てるのかな、と立ち止まることができるかもしれない。そして、薬物以外の解決策を探したり、他の適切な場所に助けを求める事が出来るかもしれない。


そして、薬物使用の危険性を正しく理解した上で、依存性の人にも正しい理解ができると思うのです。


厚生労働省の、国の薬物対策に対する文書も読みましたが、検挙や逮捕などの対策のみで、依存性者に対する支援について、一文字も書かれていなかった。


支援は大事な対策の一つではないのか?


この国は、あくまでも薬物使用者を治療や支援の観点から見るのではなく、排除したいのだと突きつけられた気がして、今日は本当に落ち込みました。