以前、航空自衛隊岐阜基地の航空祭 に一緒に行った旧友から、久しぶりにメールが。
それが、今日のブログタイトルの日帰りツアーの誘いだった。
で、8・18の悪夢が余韻が残る8月19日、新東名を東に向かった。
目的地は河口湖自動車博物館 。併設される飛行館が今回のメイン。
零戦、一般的にはゼロ戦と言った方が分かりやすいかもね。
旧日本海軍の零式艦上戦闘機。
そのレストアされた機体が2機展示されていると言うので見に行った訳です。
上のリンク先を見て頂けると分かりますが、この博物館は8月のみの開館・・・
昔、プラモ小僧だった筆者には、実に興味ある展示内容だった。
メインの零戦は21型と52型。
この博物館はユニークで館内のカメラ撮影は禁止、ただ携帯での撮影はOKだとww
まぁ、撮影禁止のところは多いが、携帯はOKとはねぇ。何故に?
と言う訳で、携帯のカメラでの撮影なので、あまりいい写真はありません。
また、館内も狭い中にギリギリで展示してあるので、ポジションも限られるのがつらいとこ。
零式艦上戦闘機21型、太平洋戦争の開戦時の主力戦闘機。
その優れた飛行性能からドッグファイトを得意とした。
米軍からはゼロファイターの名で恐れられ、1対1の空中戦は避けるようにと通達が出されたとの逸話が残る。
艦載機であるために、飛行甲板から格納庫に下ろすエレベーターの幅に合わせるため、翼端が折りたたみ式とされていた。
非常に、綺麗にレストアされた機体。
零式の名前の由来は、皇紀2600年(1940年)に正式採用されたところから。
当時の日本軍は、採用年の皇紀の下2桁を冠することになっていた。
こちらは、52型。零戦の後期型と言えばいいだろう。
エンジンがよりパワーアップされたものに換装され、翼端を短くして折りたたみ機構は廃止している。
武装も強化されて、米英軍の新鋭機の前に優位性を失いつつあった零戦の延命措置が取られた機体とも言える。
その他に、レストア中の一式陸上攻撃機の胴体部分など。
通称「赤とんぼ」こと、93式中間練習機。
戦争末期には、こんな機体まで爆装して特攻機として使われた・・・
後、エンジン類なども。。。
今から70年以上も前に、これだけのものを作り出すことのできた日本の技術は誇ってもいいのでは。
自衛隊の航空祭の時にも書いたが、こう言うものを純粋にカッコイイと思う事はいけないのだろうか?
確かに、これらの兵器が第二次世界対戦で多くの人命を奪ったのも事実である。
更に言えば隣国、ぶっちゃけ中国と韓国になるが。
それらの国に対する配慮と言うお国の事情もあり、中々保存、展示が難しいところでもある。
しかし、あの戦争の貴重な資料でもあるこれらの現存している機体を修復、保存して行く事にも、大きな意味があると思う。
負の遺産として、また、その高い技術力を受け継ぐためにも・・・
そして、ツアーはチハ車へと向かう。