まずハッキリさせておかなければいけないのが、現在政府が進めようとしているのは「TPP交渉」への参加であり、「TPP」への参加ではないという事です。


農家のおじいちゃん達は、TPP参加=外国の安い農産物が入ってくる=自分たちの作る物が売れなくなる=生活できない、という考えからTPPに反対しています。


しかし、なぜ農家の人達はそこまで外国産の物に怯えるのでしょうか。


私としては、仮に国産米の十分の一程度の価格で外国産米が買えるとしても、変わらず国産米を買います。


更に言えば、自分たちが誇りをもって作っている物ならば、逆に海外へ輸出するチャンスであると捉えてもいいと思うんですがどうでしょう。


まぁ、諸悪の根源は農協なんですが、それはまた別のお話。


もう一つ反対派の主流は、日本の金融関連が外資の侵略を受ける、とする考え方です。


TPPは関税を無くすだけではなく、経済に関する統一したルールを作るというものです。


そうすると、今まで様々な規制によって参入を阻まれてきた外資が日本に大手を振って乗り込んでくる。日本の金融システムは崩壊するぞ、というもの。


確かに何も考えず他国の言いなりでTPPに参加したら、関税は撤廃され、外国産の安い農作物しか売れなくなるかもしれない。金融システムが崩壊するかもしれない。


しかし両者とも現段階では、あくまで”かもしれない”という想像の域をで出るものではありません。


そうならないためにも、TPP交渉に参加して自国の利益を確保するようにしなければなりません。


交渉参加にすら反対する人が口にするのは「日本の政治家が自国に有利な交渉ができるとは思えない」というものです。


政治家は選挙によって選ばれた、国民の代表です。


確かに最近政治家の質が低下しているようにも思えますが、上記の様な物言いはあまりにも無責任に思われます。


まずは、交渉に参加して可能な限り自国に有利な内容にしてもらう。


あまりにも他国が有利になる内容なら、TPPに参加しなければ良いのです。


世論が割れている間にTPPのルールはすでに決まっちゃいました、っていうのが一番避けてほしいところです。

大阪市立桜宮高校で教師による体罰を苦にして、生徒が自殺するという事件が起きました。


個人的には体罰には比較的賛成なのですが、それはあくまで教育としてでなければなりません。


私自身も、小中学校時代には悪さをして教師に殴られたり叩かれたり、体育教師に柔道技で地面に投げ飛ばされたりしたこともあります。


別に不良だったりとか、特別素行が悪かったわけではありませんが(どちらかと言えばいじめられっこだったと思います)、それでも悪さをすれば、ごく普通に体罰はありました。


そのことについて、特にその時の教師を恨んだり憎んだりということもありません。


悪いことをしたら罰を与えるのは当たり前のことだと思います。


今回の桜宮高校で問題なのは、教育上の必要性があっての体罰ではなく、部活動において顧問が部員に対して行ったという点にあると思います。


強豪校になればなるほど、その顧問教師に意見できる人間はいないでしょう、(生徒はもちろん、まわりの教師も)


たとえ不満があっても、レギュラーになりたい部員であれば、その不満を口にはできないでしょう。


そもそも、体罰で肉体的苦痛を与えても、プレーは上手くなりません。


練習を不真面目にやっている部員がいたら、レギュラーにしなければいいだけのことです。


部活動を行う上で、罰を与える必要性がそもそもありません。


部活動中に顧問が体罰を行ったら、それは体罰ではなくただの暴力です。


今回の事件は、体罰ではなく「教師による生徒への部活動中に起きた暴力事件」といった方が正しいと思います。






あなたはTPPって知ってますか?


正式には、環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement )と言い、略してTPPと呼ばれています。


簡単に言うと、「太平洋の周辺諸国で関税も取っ払って経済をもっと自由化しませんか」ってな内容。


ちなみに関税とは、自国の産業の保護を目的に輸入品にかけられる税金のこと。


その他にも、他国で経済活動するには、その国ごとのルールがあるため、それを統一して自由化するのが狙い。


さて、このTPPですが、原発に負けず劣らず国内では賛否両論渦巻いています。


ここで一つ問題なのは、TPP参加とTPP交渉参加がごっちゃになってしまっている人が結構いるってこと。


特に農業に従事するおじいちゃん達は、この辺があまりよく分かってない方が多い。


ただ、これはマスコミの報道に責任の大半はあると思われる。


だって60過ぎたお年寄りが、自分から情報を求めるなんてのは、なかなか難しいと思われ。


次回は、なぜTPP参加反対する人がいるかについて書きたいと思います。



原発は、再稼動させなければ問題が無いわけではありません。


原発はただそこに存在するだけで、維持するのにコストがかかり、事故が起きたときのリスクも存在しつづけているからです。


原発は廃炉にしなければ、完全に安全とは言えないのです。


今までの話からするといささか矛盾するのですが、廃炉にしないのであれば稼動させた方が、メリットは大きいといえます。


それでも、廃炉にしなければメリット以上のデメリットを抱えている事は間違いないので、廃炉に向けて動くべきでしょう。


原発を廃炉にする際に問題なのが、「そもそも原子力発電所が廃炉を前提として造られていない」点です。


電力会社は原発を廃炉にするための期間として、25年程度を見積もっていますが、そもそも設計図すら残っていない原発もあり、本当にその期間で終わるのか甚だ疑問です。


耐用年数は決まっているのに、廃炉を前提としていない時点で、当時の原子力行政のいい加減さが窺えます。


また、放射性廃棄物の最終的な処分方法も決まってはおらず、原子力発電というものがいかに見切り発車であったかがわかります。


私が、福島の事故以前から原発に不信感を抱いていたのは、この放射性廃棄物の処分方法が決まっていないというのを知ってからでした。


長いものでは数万年もの間放射線を出し続けるものを、どうやって処分するか決まっていないのに、出し続ける。


原子力発電とは事故が起きる起きないを抜きにしても、とてつもない負の遺産を後世に残すものだと思います。


日本の借金をみて、子や孫の世代に負債を押し付けていると言う人がいますが、放射性廃棄物を後世に残すことに比べれば比較になりません。


先日見たニュースで、「原子力の研究の為にも原発は稼動させるべき」と語っているコメンテーターがいました。


何らかの画期的な技術が開発される可能性が無いわけではないので、原子力の研究は続けるべきだと思います。


しかし、そのことと原発稼動が私の中ではイコールになりませんでした。


今後、少なくとも何らかの形で放射線を無効化できるようにならなければ、原子力発電を認めることはできません。





確かに原発が稼動していないことによる年間の燃料費の負担増は約3兆円とも言われている。


しかし、事故が起きたときの人的被害や、その土地へ与えるダメージははっきりいってその比ではないと思う。


燃料費が増加すれば、電気料金の値上げに繋がり、目に見える形で経済活動や私たちの生活にも影響を及ぼす。


しかし、福島原発の事故後の除染費用は政府の試算で約400兆円。


原発事故一回で年間の燃料費の負担増額分の100年分以上が吹っ飛ぶことになります。


これは当然、税金で賄われるため直接電気料金の上乗せにはなりませんが、結局国民が負担するという意味では一緒です。


原発がまだ事故を起こしていなければ、目先の経済的利益を優先させてしまっても仕方ないかもしれない。


けど、安全神話を崩れた今となっては、原発廃止すべきだと思いますが、どうでしょう?


原発再稼動推進派の人たちは、福島は例外でもう事故は起きないとでも思ってるんでしょうか。


断言してもいいですが、南海トラフ地震が起きたら、必ずどこかの原発は事故を起こします。


その時電力会社と政府はこう言うんでしょう、「想定外だった」と。


よく経済評論家が原発再稼動に伴うメリット・デメリットを比較して、「とりあえず再稼動させた方が良い」というような事を言っているのをテレビや雑誌等で目にします。


しかし、メリットに比べてデメリットが大きすぎる気がするんですよね。


あなたが投資家だったとします。「ある会社に投資すると配当が年間1000万円あります。しかし、いつか必ず倒産します。ただし、いつ倒産するかは誰にも分かりません。明日かもしれないし、100年後かもしれない。倒産したときにはあなたは40億円の負債を背負わなければなりません。」


こんな条件であなたはこの会社に投資できますか?


いささか単純な例え話ですが、私なら遠慮します。


しかも実際には放射能汚染によりそこに住めなくなる人がいます。


そして事故が起きた土地も除染すれば人が住めるようになる保障はどこにもありません。


除染作業も手抜き除染が問題になったのは、記憶に新しいところ。


ただ、問題なのは原発を再稼動させなかったとしても、問題は何も解決しないってことなんですけどね。


再稼動反対と原発廃止。この辺は似て非なるものなので(気持ちの根底は同じですが)


再稼動させないだけでは、なぜ問題の解決にならないか?


この辺はまた次回で。