ようこそ、歴史の沼へ!
歴史の沼へようこそ!
第2回は
下剋上のスーパースター、
北条早雲
常識をぶっ壊した男の
成り上がり伝説!
皆さん、こんにちは!歴史ナビゲーターの
もりみやです。
前回の記事では、11年も続いた泥沼の内乱
「応仁の乱」によって、
日本の古い秩序が木っ端みじんに
破壊されたお話をしました。
花の都・京都は焼け野原となり、
将軍や貴族の権威は地に堕ちました。
まさに「オワコン化」した旧エリートたち
。
では、すべてがリセットされたこの焼け野原から、
次に現れたのは
一体どんな連中だったのでしょうか?
正義のヒーロー?いえいえ、とんでもない!
彼らは、野心と欲望のエネルギーで満ち溢れた、
とんでもない
「成り上がりモンスター」たちでした。
今回のテーマは、この時代を象徴するキーワード
「下剋上(げこくじょう)」。
そして、その代名詞ともいえる
一人の男の物語です。
下剋上時代の幕開け:
昨日の家臣が、今日のあるじ
「下剋上」という言葉、聞いたことありますよね?
文字通り、「下の者が、上の者に打ち克(か)つ」
という意味です。
応仁の乱以前の武士社会は、
良くも悪くも「家柄」や「血筋」がものを言う世界でした。
しかし、乱によって幕府という巨大な“タガ”が外れた結果、日本はルール無用のサバイバル状態に突入します。
「家柄なんて関係ない。
力が、知恵が、運があるヤツが一番偉い!」
そんな実力至上主義の風潮が、
日本全土を覆い尽くしました。
家臣が主君を追放し、
その領地を乗っ取るなんてことは
日常茶飯事。
誰もが「一発逆転」のチャンスを虎視眈々と
狙っていたのです。
そんな、血で血を洗う下剋上時代に、
彗星のごとく現れ、
戦国時代の新たな“モデル”を作り上げた男が
いました。
その名は、北条早雲(ほうじょう そううん)。
彼こそが、戦国大名の第一世代を代表する
スーパースターです。
何者なんだ、お前は?謎に包まれた男、伊勢盛時
「北条早雲」という名前は、
実は彼が出家した後の名前。
本名は伊勢盛時(いせ もりとき)といいます。
彼のすごいところは、
まずその出自のミステリアスさにあります。
かつては「京都から流れてきた
一介の素浪人だった」と言われ、
ゼロから成り上がった下剋上の
象徴とされてきました。
しかし、近年の研究では、
どうやら室町幕府に仕える
エリート官僚の一族だった、
という説が有力になっています。
…え、エリートだったの?
じゃあ下剋上じゃないじゃん!
そう思うのはまだ早い!
たとえ彼がエリート官僚だったとしても、
それはあくまで中央政府での話。
武士が群雄割拠する関東の地では、
彼は全くの新参者、いわば“よそ者”でした。
そんな彼が、どうやって関東一円を支配する
巨大勢力の礎を
築いたのか?そこに、
彼の非凡さがあるのです。
知恵とタイミング!
早雲の鮮やかすぎる「国盗り物語」
彼の成り上がり伝説は、
妹が嫁いだ駿河国(現在の静岡県中部)の
有力大名・今川家のお家騒動から始まります。
当主が亡くなり、後継者争いが勃発。
彼は、この内紛に巧みに介入し、
見事に甥である今川氏親を当主に据えることに
成功します。
この功績で、彼は小さな城を与えられ、
関東進出の足がかりを手に入れたのです。
そして、運命の1493年。
早雲は、隣国・伊豆(現在の静岡県伊豆半島)の
内紛に乗じて、電光石火の進軍を開始します。
これが世に言う「伊豆討ち入り」。
彼は見事に伊豆一国を手に入れ、
自立した戦国大名としての第一歩を刻みました。
幕府の役人だった男が、自らの実力で「国」を
手にした瞬間です。
彼の“国盗り”は止まりません。
次に狙いを定めたのは、
難攻不落の名城・小田原城。
ある嵐の夜、早雲は農民に変装させた兵士たちを
城下に忍び込ませ、火を放ちます。
城内が大混乱に陥った隙を突いて、
一気に城を攻め落とした
…という、まるで忍者のような奇襲作戦は、
彼の知略を物語る有名なエピソードです。
武力だけでなく、知恵と、
時代の流れを読む鋭い嗅覚。
それこそが、北条早雲の最大の武器でした。
戦国最強の経営者?
早雲が本当にスゴかったこと
しかし、早雲の本当のすごさは、
ただ戦が強かっただけではありません。
彼が革命的だったのは、奪った領地を
「経営」する視点を持っていたことです。
① 革命的な税制改革「四公六民」
当時の農民は、収穫の半分以上を年貢として納める
「五公五民」が当たり前でした。
しかし早雲は、なんと税率を
「四公六民(収穫の4割を税金、6割は農民のもの)」に引き下げたのです!
「え、そんなにもらっていいの!?」と
農民たちは大喜び。
他国から「早雲様の領地で暮らしたい!」と
人々が移り住んでくるほどでした。
彼は、民衆こそが国力の源泉であることを、誰よりも早く理解していたのです。
② 法による支配の始まり「虎の印判状」
早雲は、領国内で出す命令書や許可証に、
誰が見ても一目でわかる
「虎のハンコ(印判)」を
使うことを徹底しました。
これは、気分や人間関係で
ルールが変わるのではなく、
「法」や「システム」によって国を治めるという意思表示でした。
この「印判状」による統治システムは、
後の武田信玄や織田信長も真似をする、
戦国大名経営のスタンダードとなっていきます。
戦に明け暮れるだけでなく、
民の暮らしを安定させ、
国を豊かにする。
この「武力」と「経営能力」の両輪こそが、
彼を単なる成り上がり者ではない、
「新時代の支配者」たらしめたのです。
まとめ:
新たな時代の“原型”を作った男
北条早雲のような「第1世代」の戦国大名たちは、
応仁の乱が作った更地の上に、自らの知恵と力で
新しい国づくりのルールを打ち立てていきました。
彼らが示した道は、
家柄より実力。
戦の腕前だけでなく、
民を治める経営センスこそが、
新時代のリーダーの条件である
というものでした。
この下剋上の嵐は、早雲だけでなく、
美濃の斎藤道三、安芸の毛利元就など、
日本各地で新たなスターを生み出していきます。
まさに、群雄割拠の時代の始まりです。
そして、彼ら第1世代が作った土台の上に、
いよいよあの“魔王”や“猿”、“タヌキ”といった、
規格外のスーパースターたちが
登場することになります。
さて、次回はこの戦国時代の主役たちが、
一体どんな革命を起こしていくのか?
いよいよ物語の核心に迫っていきます。
歴史って、最高の成り上がりストーリーの
宝庫だと思いませんか?
次回も、どうぞお楽しみに!

