(有料台本/90SPOON)

Bluebird
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 わたしは。なぜ本を買いに行ったのか?

 わたしの通う樫ノ宮(かしのみや)中学校では毎朝、読書時間というものが十五分間設けられている。その時に読む本を買いに行ったのだ。なぜ、この本を選んだのか?これといって欲しい本があったわけではない。わたしは漫画は読んでも、小説のように文字だけで紡がれた物語を読むのは苦手だった。文字の列だけが数百頁にもわたり延々と続いてるだけだなんて考えただけでも瞼が重くなってくる。.......正直、本ならなんでも良かった。そしてこの本に出会ったのは単なる偶然である。店に入るとすぐ、レジの横に新作の本が何種類か並べられていて、なかでも、一際目を引く一冊があった。綺麗なコバルトブルーのカバーには金色の文字で【bluebird】と書かれており、真ん中には翼を広げて今にも飛び立ちそうな鳥の絵が描かれていた。いわば、一目惚れだった。本当は適当に安い文庫本なんかを買って、お釣りで漫画本を買おうなどと考えていたのだがそんなことはもう頭になかった。母は小学校の教師をしている。わたしが買ってきた本をみせると「梨菜が漫画以外の本を買うなんて!」と、びっくりしていた。

「に、さん、ページよんで飽きたなんてことにならないといいけどね」と、母は笑ったけれど、そんなことにはならなかった。読みはじめると、止まらなかった。続きが気になって仕方がなかったのだ。朝の読書時間だけにとどまらず、休み時間にも読み、授業中にも読み、放課後も残って読んだ。わたしはどの部活動にも属しておらず、いつもなら真っ直ぐ家に帰っている時間だったが、その日は誰もいない教室で一人静かに読書に耽(ふけ)った。グラウンドで活動するサッカー部と野球部、陸上部の声が教室にまで届いている。同じ階にある音楽室からは吹奏楽部による演奏がきこえてきた。しかしひとたび本に集中すると、まわりの雑音は全て消えさり、無音の空間になるだ。そのせいだろう。話し掛けられていることに全く気付かなかった。

「.......大高!」

 ハッとして顔をあげると目の前に同じクラスの奥村くんが立っていた。奥村くんはクラスでもかなり目立つほうで、明るく茶目っ気があり、みんなに好かれていた。当然友人も多く、誰とでもすぐにうちとける。わたしみたいに異性と話すときに緊張して口ごもってしまうということがない。彼みたいな人を世渡り上手、というのだろうなと思った。

「あ、やっと気付いた。さっきから何回も呼んでたんだけどさ、シカトされてるのかと思ったよ」

突然話し掛けられ口ごもっているわたしを無視して、奥村くんは近くにあった椅子に腰掛けた。

「その本、今日ずっと読んでるね」
「あ、これ、面白いんです」
「だよね、俺も読んだことあるんだ」
「え?」

意外だ、と思った。

「俺、その著者好きなんだよね。知ってる?その人、この樫ノ宮町出身なんだぜ」

読み途中のページに指をはさみ、本を閉じて表紙をみた。金色の文字で【永原 愛(ながはらあい)】と印刷されている。奥村くんは【永原愛】について色々な話を聞かせてくれた。

「すごく詳しいんだね。ストーカーみたい」

 決してほめたわけではないのだけれど、奥村くんは得意げにふふん、と鼻を鳴らした。家に帰ると、母が調度夕飯の支度を終えたところだった。テーブルの上には父と母とわたしの三人分のサバの味噌煮が並べられていた。サバの味噌煮は父の大好物である。

「あ、梨菜お帰り。ご飯できたからお父さん呼んできて」
「.......わたし、あんまりサバってすきじゃないんだよね」
「いいから早く呼んできなさい!」

渋々階段を上がり、父の部屋のドアをドンドン、と叩いた。

「お父さん、ご飯だよ!」

返事はない。今度はドアを開けて呼んだ。なにやら机に向かって読書でもしていたらしい。父は読書家で、部屋には専用に大きな本棚があるのだが、中に入りらない沢山の本が床に積みあげられていた。父が読んでいた本は見覚えのあるコバルトブルーの表紙だった。父もわたしと同じように、読書に夢中になるとまわりが聞こえなくなるのだろう。その時、改めてわたしはこの人の子供なのだと思った。

「お父さん、ご飯出来たってば!」

父はびっくりしたように振り返り、立ち上がった。

「.......いま、いくよ」

 読みかけのページにボロボロのしおりを挟み本を閉じた。そのしおりはアサガオの押し花で作られていて、わたしがちいさい頃から父はいつもそのしおりを大事そうに使っていた。



「手紙を出してみようと思うんだけど」

 あの日の放課後以来、わたしと奥村くんは急激に仲良くなっていた。奥村くんと向かい合って座る。

「永原愛に?」

うん、と頷いた。

「俺も何回か出したことあるよ」
「返事は?」
「くるわけないだろ」

チャイムがなり、先生が教室に入ってくると奥村くんは気だるそうに自分の席に戻っていった。



 そして。

 奥村くんの言葉を大きく覆すかのように。永原愛から返事がきたのはその一ヶ月後のことだった。



 梨菜さんへ

 心のこもったお手紙ありがとうございます。永原愛です。私は昔樫ノ宮町に住んでいたことがあります。父の日になにか手作りのものをプレゼントをしたいだなんて、仲が良いのですね。私は小学生の頃、庭で育てていた朝顔を押し花にしてしおりを作り父にプレゼントしました。とても喜んでくれたのを覚えています。梨菜さんの気持ちがこもっていれば、お父さんは何を貰っても喜んでくれると思いますよ。

永原愛


 その後、何通かやりとりは続き、奥村くんにはそのことを話さないまま樫ノ宮中学校では夏休みに突入した。その日は夜遅くまで漫画を読んでいたせいか、目が覚めたころには十三時を回っていた。階段を下ると父がリビングのソファーに腰掛け読書をしている。わたしに気がつくと、父は読書を中断し、立ち上がった。

「今日は随分遅いな。お腹空いたろ。ご飯どうする?」
「適当に食べるよ、それよりお父さん今日は仕事休みなの?」
「あぁ、急に休みになったんだ」

きれいに掃除されたテーブルの上には、コバルトブルーの本とボロボロのしおりだけが置かれている。

「ねぇお父さん、私がまだ小学校にあがるまえ勝手にお父さんの部屋にはいった事があったよね。本を積み上げて遊んでいたらその朝顔のしおりを折っちゃって酷く叱られた。普段怒らないお父さんが、あの時はすごく怖かったんだ」

「そんなこともあったかな。覚えていないよ」

窓から生ぬるい風が入ってきて、風鈴が、チリンと涼しげな音をたてた。


「ねえお父さん.......その朝顔のしおり、どうしたの?」

蝉のなきこえがやけに煩く感じた。


.......永原愛から手紙が届いた。しかし永原愛というのは単なるペンネームであり、本名は別にある。はじめてその名前を聞いたのは、本を買った翌日の放課後だった。奥村くんが永原愛は男性なのだと教えてくれた。女性の名前で本を出す男性作家は少なくないらしい。手紙には、自分は男なのだということと、八月二十日に仕事の取材でこの樫ノ宮町に三日ほど滞在するので、もしよければ会いませんか、とのことだった。

断る理由などなかった。当日、駅の改札で彼が出てくるのを待った。彼がのっている新幹線が到着し、たくさんの人が改札口を出てわたしの横を通り過ぎていく。そんな中、ひとりの男性と目が合う。身長は、百八十近くありそうだ。細身で若干眠そうではあるが整った顔立ちをしている。左手には黒いアタッシュケース、右手にはココアの缶を握っていた。わたしはまっすぐ彼のもとへ歩み寄り、彼もまたわたしに歩み寄ってきた。


「夏生(なつお)さんですよね」

 彼は一瞬眠そうな目を大きく見開きびっくりしたような表情をした。

「.......はは、まいったな」

俯き加減に頭をポリポリとかくと、ココアの缶を捨てアタッシュケースを指差した。

「一旦、荷物をホテルに起きにいきたいんだが、どこか喫茶店で待っててくれないか」
「付いていきます。ビジネスホテルだろうが、ラブホテルだろうがどこへでも」

「.......やめてくれよ、シャレにならない」

 彼は和やかな風を装っているが、どこか謎めいた雰囲気を持っていて、わたしには彼がそれを懸命に隠そうとしているように思えた。そうしてわたしたちは駅を出て、タクシー乗り場に出た。

「本当にくるの?」
「勿論行きますよ」

彼は困った様子だった。それでもわたしは、どうしても彼と二人きりになりたかった。

「.......まぁいいか」

タクシーで彼の宿泊するホテルへ向かう。カウンターで受け付けを済ませ、自販機でココアを買ってくれた。あったかい。部屋につき、直ぐにわたしたちは並んでソファーに座った。

「いい部屋ですね。小説家というのは儲かるんでしょうか」
「君も小説家になるか?」
「無理ですよ。わたしにはそんな才能ないです」
「そうかな?同じ父親の血をひいてるんだ。君にも少なからず小説家の才能があるかもしれないぜ」

彼はココアをずずっと音を立ててすすった。蝉の鳴き声さえ届かないこの部屋に静寂がたちこめる。


「あなたは、最初から知っていたんですね。私が、あなたの父親である大高秋人と再婚相手との間に出来た子供だって」

「.......知っていたよ。だから君からファンレターが届いたときは心底びっくりした」
「父を、大高秋人を恨んでいますか?」
「勿論恨んでいるよ。あの人のせいで母は自殺未遂までした。結局離婚したけど、母はまだあの人を愛していたんだ。そして僕が君と同じ中学二年生のとき、ついに母は自殺した」

「.......父から聞きました。母は、わたしの母は今でも教師として働いています。わたしに会おうと言ってきたのは、わたしの両親への復讐のためなのですか」


「そうだ、と言ったら?」
「煮るなり焼くなり好きにしてください。わたし、殺されてもいい覚悟で今日ここへ来たんです」

「.......ひとつ聞かせてくれよ。君はいつから俺の正体に気付いてた?」
「つい最近です。父は、いまでもあなたから貰った押し花のしおりを大事に使っているんです」


「.......本当は。今日君に僕の正体を明かし、殺してやるつもりだった。俺が、血の繋がるたった一人の母親をなくしたように、あいつらに大事な一人娘を失う悲しみと苦痛を与えてやりたかった」


 彼は泣いていた。わたしは両親を恨んだ。もしもわたしが、大高秋人と早川あゆみの子供じゃなかったら、少しでも彼のこころを癒してあげられたかもしれない。もしもわたしが血を分けた妹じゃなかったら、彼に対して抱いてしまったこの感情も報われることがあったかもしれない。彼の細い肩にそっと触れる。その瞬間、揺さぶられるような衝撃を受け、後ろに倒れた。手首を強く握られ、押し倒されていた。


「あの人がまだしおりを持っていたのは予想外だった。復讐なんかしたところでどうにもならないことなんてわかってる。それでも、俺は幸せそうに、のうのうと生きてるあいつらに復讐しないと気がすまないんだ」


 これは彼なりの復讐なのだろう。


 その日、二人は罪に堕ちた。

 彼の熱が、わたしの中で溶けていくのを感じた。



 わたしは三日間彼と行動を共にした。次の作品ではこの樫ノ宮町をモデルとした舞台で小説を書くのだそうだ。


「父に会っていかなくていいんですか」

 わたしたちは、彼が昔、猫を埋めたという場所にいた。途中で買った花を添え、二人で手を合わせる。

「君の貞操を奪ったって言ったらあの人はどんな顔をするんだろうね」
「.......父は、あなたが小説家になったことを知っていると思います。父の部屋には永原愛の小説が全て揃えてありました」

「はは、まぁ偶然だろ。俺は、あの人たちに会うつもりはないよ」

 三日という時間はあまりにも短く感じた。駅のホームで、帰りの新幹線がくるのを待ちながら、二人でココアを飲む。駅のなかは蒸し暑く、汗で肌はじっとりとぬれている。.......彼はもう二度とわたしには会ってくれないだろう。彼にとって、わたしなど憎むべき存在でしかないのだ。やがて新幹線が到着したことを知らせるアナウンスが流れた。



「梨菜、さよなら」



 そう言い残し彼の背中は人混みの中へ消えていった。目頭が熱くなり、涙が溢れてとまらなかった。


「お兄ちゃん!」


 悲痛なわたしの叫び声は駅中に響いても彼のこころにとどくことはなかった。




 お兄ちゃん。
 どうか、幸せになって。

 いつか素敵な女性と結婚し、あなたが子供の頃夢見た理想の家庭を築いてください。家族というのは悪いもんじゃないんだってことをどうかあなたにだけは知ってほしいのです。



BLUE BIRD

Fin