ささやかな結末-6-
気づけば1結から6ヶ月以上が過ぎていた。
9頭楽日から数日、私は砂を噛むような苦い食事をした。あの『夕焼け』の詩を思い出し、それを言葉にしてしまう詩人を許せない思いで激しく憤った。それでも私は食べた。なるべく冷静に書籍類などの身辺を整理し、大きなプロジェクトへアプライすべく、小さな論稿を書き続けた。
その日の朝、出掛ける前に、まず私は、例の若いスタッフに宛てた文書を作成した。これで、今日で終わりにするから、一度だけ見なかったことにして欲しい。それが不可能であれば、理由説明をせずに、私の肩を2度叩いて欲しい。私がそれを認めれば、すべてが終わる。今日を含めて2度とフィナーレでは花を出さない。
私はこの日に「その子」のために準備するものを頭の中で確認した。
1. 青い小花柄のワンピース
2. 花束
3. 石塚真一著『岳』第10巻
準備に時間がかかる。すべて用意できた時点で-クライム・オン-だ
恐らく焦りが生じたのだろう。
いろいろなことが上手くいかなかった。まず、肝心の、あのワンピースがなかなか出てこない。レッドエレガンス。俺は2度と夕焼けを見られないのか-クライム・オン-テンション-クライム・オン-テンション-私は心の中で呟きながら一心に花屋を目指す。店頭に着いても馴染みのない店員さんで、話が通じにくい。私は苛立ちを隠せない-
「私が変わります」
落ち着いた声で熟練の店員さんが店頭へ出てきた。まず予算を告げる。そしてイメージだ。「白基調、緑以外に色を交えるならば一色だけ。若干キャスケードに流して欲しいのですが、ブーケホルダーなしですので、無理なら普通の形でいいです」店員さんは、冷静に、そして大胆に次々と花を足した。凄腕だ。彼女が手に持った花は、すでに、キャスケードブーケの形になっている。「シンフォリカルポスを入れてもらえませんか?」「入れると、どうしてもシンフォリカルポスが勝ってしまい、キャスケードの印象が薄れてしまいます」その通りだ。ヒペリカムのピンクでも同じだろう。私の想定するアレンジメントはいつもbrokenか、成功したとしてもアクロバティックだ。
ここで、私がイメージしたのは何だったか?
「これでいきましょう」価格を計算してもらって、私が「GO」サインを出したのに応じて、彼女はブーケを作り出した。私が想定した透明のセロファンだけでなく、彼女は私に声も掛けずにペーパーを一枚挿んだ。「こちらのほうが見栄えがすると思いましたので」彼女は驚くほど冷静に自身の役割を成し遂げた。その間に、先ほどの、最初話が噛みあわなかった店員さんが、私が別にオーダーした薔薇を一輪用意してくれた。「さっきはゴメンナサイね」「いいえ」花束を入れた紙袋を受け取ると、私はもう一度「お忙しいところゴメンナサイね」と詫び、「ありがとう」の言葉を残してその場を去った。
-まだ開演に間に合う-
ホームで先刻作ってもらったブーケを出してみる。私の手腕では想像もできない、驚くほどの大輪を鏤めたブーケである。
-いいじゃん-
おそらく私の願いは聞き入れられないだろう。死ぬにはいい日だ。地下道を抜け、地上へ上がれば、青空に秋の雲がたなびいているはずだ。
『岳』第10巻にはこんな話が載っている。長野県警の若い救助隊員は、あまりの凄惨な遭難現場と過酷な救助の実態に直面し、いつしか心が荒んでゆく。そんな彼と同棲している彼女に、小さな生命が宿る。
「オレは・・・ビビってるよ。この仕事が・・・山が・・・怖い・・・こんなオレが・・・子の親になれるのか・・・」
「いま、俺が担いで上げなければ、この要救(要救助者)は死ぬ」-・・・登る・・・必ず登る!!-彼は持てる力を振り絞り、彼の決死の努力で要救は一命を取り留める・・・なせ私はこの挿話(エピソード)を「あの子」に伝えたかったのか。自分でも分からない。それでも選ぶとすれば、この第10巻だ。彼は後に2重遭難の事故に遭い、両脚の機能を失う。得られるもの、失うもの。ただ時間だけが通り過ぎてゆく-
-できれば、りんごが、欲しい-
「あの子」が青小花柄のワンピースを着てくれたら、さらに林檎を持たせて写真を撮ろう。綺麗に撮ろう。改札を出て、商店街を通る際、私は林檎を探した。ない。乾いた街並に青果を求めることは難しかった。
入場すると、私は白地のシャツに着替え、黒地にシルバーのレジメンタイを締め直す。
今日はアルバイトの若い男性が休みとみた。べつの若いスタッフに事情を告げ、1枚の文書を手渡す。「上に訊いてみないと分かりませんので・・・」おそらく彼らは認めたがらない。私が感情を篭めれば篭めるほど、彼らは非情に徹しようとするだろう。そういう「店」なのだ。この時点で私は終わったのだ。「何かあればいつでも私に声をかけて下さい」腹を括(くく)った。私は逃げない。
「例えば、特別なイベントの日とか、そういうときならば、花束贈呈というのもあり得ると思うのですが」ナンセンスだ。「作られた」イベントなど参加しようとも思わない。-なんでもない日-そういう日こそ大切にしたい。そのための花だ。
「その子」は白サテンにピンクパープル縁取るフリルをあしらったゴージャスなドレスを着て本舞台をすべるように滑らかに舞っていた。白いつば広ハットが風に揺れる。ベットインすると白レースの裾を広げ、ライトを浴び、蝶のように空を、ベットの海を漂った-なぜなんだ?-と問いたくなるほど美しく。
「おはよう」先にワンピースとコミックの入った袋を渡す。-どのタイミングであっても、落ち着いて受け取って欲しい。そして2回目に-便箋を添えておく。
先に先に、9頭から15日間の予定で乗っている踊り子さんに、別に用意した薔薇を渡す。
深く朱に染まった“オリビア”を大見はるかさんへ
※1
フィナーレが始まるのに合わせて花道沿いへ移動した私の肩が、優しく2度叩かれる。若いスタッフが少し手を横に振った-終わった-私は少し微笑み、眼を大きく見開くように、彼に頷いてみせる。何も起こらない。終わったのだ。
フィナーレでその子と眼が合ったように感じた。私は落ち着いてピースサインを出す-ゴメンね、もうちょっと待って-
それ以上は誰も私に話しかけない。静かな優しい時間が過ぎる。
2回目のソロOPで、私は盆周りに少し控え、片手では支えきれないほど大きな花束を差し出した。
-よかったら、私、持とうか-分からない。そんなふうに声をかけたような気がした。そして私はこの日を待った。およそ6ヶ月強。
リシアンサス(白い大輪) 品種:ボンボヤージュホワイト
ユーカリアップル(緑)
藤袴ホワイト(白い粒状)・・・
リシアンサス“ボンボヤージュホワイト”がバブルのように輝き、藤袴ホワイトと共にピュアに弾ける。ユーカリアップルの緑が優しく寄り添う。
いま、この花束を、榎本らんさんへ-
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1回目と2回目の間の休憩時間に外出した私は、林檎を3つ、市場で買ってきた。真っ赤な子犬のような林檎が3個、ビニール袋におとなしく収まった。
2回目の撮影タイムに、そのうちの1個を大見はるかちゃんへ渡し「今買ってきたんだけど、食べたら死ぬぜ」私は笑いながら告げる。
「あれ、なんだっけ、『デスノート』の死神。リュークだ!リューク!!りんごを持ったリュークだ!」そんなふうに、はるか嬢が私の渡した林檎に意味を、いや「力」を与えてくれる。
その後のダブルオープンのとき、林檎を1個持ってステージに登場したはるか嬢に、私は自分の林檎を1個、齧ってみせる。「歯槽膿漏じゃないことだけは分かった」はるかちゃんが笑って応じる。私もまた笑った
-END-
※1 画像のうちの一部を拝借させていただきました。