佐貫駅が龍ケ崎市駅になってからまもなく3年になります。


佐貫を龍ケ崎駅にという話は、昭和からありました。

その時代、市の代表駅と駅名が違う例は意外に少なく、東京圏では吉祥寺(武蔵野市)や津田沼(千葉県習志野市)、五井(千葉県市原市)などの例があるくらいでした。

厚木駅が厚木市にないなどの例もありましたが、谷保が国立市になり国立駅に改名されたように、市名に合わせた改名は普通にありました。


龍ケ崎市の場合、中心部から離れているのがネックでしたが、埼玉県行田市も中心部から離れた場所に行田駅(高崎線)があるから、必ずしも無理な話でもありませんでした。(行田駅が開業する前は秩父鉄道行田市駅が行田駅だった)

しかし、龍ケ崎市駅が実現したのは平成を飛び越えて令和になってからでした。これは市内でも反対や慎重意見が根強かったからです。


その間の平成期「平成の大合併」の結果、市名と駅名が違う例が再び増えてきました。

茨城県でも、ひたちなか市(勝田駅)や筑西市(下館駅)、常総市(水海道駅)、桜川市(岩瀬駅)が新たに加わりました。

しかし、例えばさいたま市で浦和駅をさいたま駅に改称しようという動きがないように、これらの新しい市では改称に消極的です。


理由としては駅名改称に多額の費用がかかること、さらに平成の大合併は広域合併だったため、地域名が市名になるケースが多く、市名に変えるとかえって駅のある場所のイメージがボヤけてしまう、また同じくらいのサイズの市町の合併も多かったため、複数の中心部があったりして一つだけ代表にするのはそぐわないなども理由かもしれません。


合併しても市外局番すら複数ある市も多く(茨城県稲敷市は3つある)未だに解消してないなど、この合併は昭和以前の合併とはかなり様相が異なってます。


平成の大合併から期間が過ぎて、新しい市名に慣れたあと再び改名ブームが来るかはわかりません。

特に地方では鉄道離れが進み、駅名などへのこだわりも昭和ほどではありません。


さいたま市などは、福岡市が代表駅を博多のままにしているように、浦和や大宮がずっとそのまま残りそうな気がします。

高速道路のインターチェンジやサービスエリアが合併後も開業当時の市町村名のまま残っている感じになるかもしれません。

そうなると、茨城県の常磐線や水戸線沿線などはこの龍ケ崎市駅が最後の駅名改称になるかもしれません。