GET TOKYO ONLINEのブログ

GET TOKYO ONLINEのブログ

1959年生まれ、洋楽ロック好きオジさんの日記代わりの独り言。

Amebaでブログを始めよう!
1975年4月のクイーン、私自身の思い出話を2回に分けて。

72年から75年まで3年間通った中学校は千代田区の平河町にあった。当時、海外のロックミュージシャンが宿泊するホテルは港区赤坂のヒルトンホテル(現キャピトル東急)、ホテルニュージャパン(1982年の火事で33人が死亡し、廃業)、港区芝の東京プリンスホテル程度しかなく、要するに外タレの追っかけビギナーには最適の場所に学校があったという訳だ。実際に学校帰りの赤坂でポール・モーリア夫妻に遭遇したことがあるし、クラスメートは丸ノ内線で赤坂見附から銀座まで乗車していたRod Stewartと山内テツに会った事がある。つまり学校が終わってニュージャパン~ヒルトンってハシゴするだけでも宿泊しているミュージシャンやクルーに遭遇する確率は極めて高く、もしその2か所にいなければ「じゃあ東プリか!」ということで、この3か所を回るだけで打率9割といった感じ。学生カバンの中に色紙を隠し、学校帰りにサインを貰いに行っていた。74~75年にかけてはEric Clapton, BeeGees, Wishbone Ash, Bad Company, Grand Funk Railroadといったアーチストのサインを貰った。但し写真はあきらめていた。ロビーでストロボをたくと出ていくよう促されるのが普通だったし、写真もサインも、というのは時間的にも難しかった。

クイーンが来日した1975年の4月には飯田橋にある高校に通い始めていた。東京公演初日が4月19日(土)だったので前日18日夕方に東プリにいったら、今のご時世だと考えられない事だが、正面ロビー入り口に”ホテルに泊まっている有名人”のお名前がいくつか掲げられていて、その中に"楽団 クイーン 御一行様”って記されたプレートも下げられていた。でもこのプレート、翌日には外された。何故なら、この時点で既に女性ファンが山ほど来ていて、ロビーは大変な状況だったから。私は「これだとサイン貰いにくいな~」と思った。

この晩、メンバー全員が車で食事に出る様を見れたけど、既に女性ファンが群がってきていて、警備会社と小競り合い。20-30人ほどいただろうか? とても寄れる雰囲気では無かったけど、男のファンはその場に私しかいなくって、しかも学生服着た男子学生だとたぶんファンには見えなかったのだろう。その場からどくようにせっつかれることもなく、たまたま僕が立ったところの脇をメンバー全員が通って、そのまま目の前の車寄せで待っていた。ジョンが僕のすぐ脇にいたので「Hello John!!」って呼んだらびっくりしたみたいだったけど振り返って笑ってくれた。他のメンバーはその先にいたけど、当然寄れるわけでもないし、その日は外出を見送っただけでそのまま帰宅した。

翌日は東京初日、私はこの日のチケットは持っていないので学校が終わった昼過ぎから中学校時代の友人と東プリへ。公演に出発するメンバーの姿でも見れたら、なんて考えていたのだが、しかし......おびただしいファンの人たちの数!! 若い女性ばかり、おそらく100人近くは来ていたと思います。ホテルも厳戒態勢。幸いにも(?)僕は男子学生という事で、さほど警戒されることなく、ロビーにもすんなり入れましたが、多くの女性がロビー前でシャットアウトされていました。運よくロビー内にいたとしても、所在投げにブラついているだけで追い出されていた女性ファンの方も多かった。

通常、ミュージシャンは初日公演の前はそれなりにナーヴァスになっているし、これだけ沢山のファンが来ているので、悠長にサインしてくれる余裕はないな、と考えた。よし、明日は日曜日でオフだからそれなりに長丁場でチャンスはあるだろう、と夕方4時過ぎには帰路についた。翌日聞いた話だが、メンバーが武道館に向かったのは、私が帰路に着いてから僅か10分後ぐらいだったとのことで、うーん、ちょっと惜しかったなーと思った。

-続く-