ふと昔の事を思い出した。
およそ30年ほど前のことだ。
当時は何がこんなに苦しいのか分からなかったが、
毎日息苦しかった。
日々もがく中で、一人の人物に出会った。
ほぼ同年代の女性だったが、話しの仕方が断定的で
私の表面意識ではとらえられない心の奥底の何かを語ってくれた。
それ以来、私はどうすれば自分自身を完全に理解できるのかと言うことに
最大の関心を持って生きてきたように思う。
かれこれ彼女との師弟関係とも呼べるような関係性は25年ほど続いた。
そして今では幸せになるのに、様々な手法は必要ないと思うようになった。
当時は禅や内観や様々なスピ系の読書などやっていた。
でももう全く必要を感じない。
今の私は、もしも私が幸せになりたいのなら
「そうなれば」良いのだと思う。
単純明快。
どういう方法も必要ない。
自分が嬉しい、楽しい、正しいと思うことをやれば良いだけなんだ。
方法なんて人それぞれ、みんな違うのだから人まねする必要は無い。
しかしあの当時は多分勇気も無く、様々なしがらみがあり
社会的な思惑もあって、生きたいように生きなかったのだ。
でも後悔は全く無い。
これだけの時間が必要だったし、無理しなかったし、勇気も無かった。
今ではふと思い出すといつでも幸せを感じることができる。
他人は笑うだろうけれど、あるいは損得勘定が先に来て
恐怖を感じたりするだろうけれど、
私には、あまり恐怖も起きないし誰かの目が気になったりもしない。
表面ではとても静かであまり目立たないだろうけれど
内側では静かな喜びが広がっていて
心の中で「ふふっ」と微かに微笑んだりする。
今言える事は誰でも自分に今できるだけの精一杯を
生きれば良いだけなんだと言うこと。
自分の心が悲しい時には、他人にやさしくなれないし
誰かの幸せを願ったりできないものだ。
それが自然だと思う。それがあるがままだと思う。
だから必要以上に自分を責めないことだ。
今はこれが精一杯と自分を慰めてやろう。
そんな生き方が一番の近道のような気がする。
「神」あるいは「存在」は私の呼吸を全て請け負ってくれているらしい。
だから意識しなくても呼吸できているんだそうだ。
全てお任せで、(生きている限り、寿命があるんだ)。
それが当たり前なんだそうだ。